ツルゲーネフ『父と子』

父と子 (岩波文庫 赤 608-6)

父と子 (岩波文庫 赤 608-6)

 十九世紀の小説を読んでいると、この作品に限らず、物語が佳境にさしかかったところで登場人物が突然病気にかかってあっけなく死んでしまうという場面にしょっちゅう出会す。これは必ずしも作者の御都合主義というわけではなく、現代と比べて衛生状態や栄養の摂取が悪いうえに医学が進んでいなかった時代の産物だとも言われるが、中にはいささか安易な終わらせかた、つまり話が纏まらなくなってむりやり死なせちゃったんじゃないかという気がするものもないではない。それでいて昨今流行りの人死に小説のようなあざとさを感じないのは、死がわかりやすい感動や解決をもたらすのではなく、むしろ逆にその唐突さによって物語を宙吊りにする効果を与えているからなのかもしれない。安易っちゃ安易なんだけど。
(以下ネタバレあり)

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その女、ヒナギクにつき

デイジー・ミラー (新潮文庫)

デイジー・ミラー (新潮文庫)

 表題になっているデイジー・ミラーは、未婚の婦人が男と二人で外出するだけでスキャンダルになったような時代に、自由奔放に振る舞ってヨーロッパの社交界から顰蹙を買う無邪気なアメリカ娘で、アメリカ人でありながら長らくヨーロッパで暮らしたためかヨーロッパ風の堅苦しいモラルが身に染みついてしまった青年ウィンターボーンと彼女の交際を通して、新旧両大陸の相違が描き出されている……という文学史の教科書みたいな説明は面白くもなんともないばかりか、小説の大事な部分を捨象してしまうのだが、感想を短くまとめようとしていつもついこんなふうに書いてしまうところをみると、われながら小中高と習い親しんだ日本の国語テストの方式に毒されているのだなあ。 

(……)異様に聞こえるかもしれないが、ウィンターボーンは、この娘が恋人と落ち合ったのに、自分の存在をうるさがる風をさらにして見せないのがじれったく思えた。それでいて、うるさがってくれればいいと思う自分が、われながら癪にさわった。この娘を、行いの正しい申し分ない令嬢であると見ることはとうていできない。そうした令嬢になくてはならない慎しみ深さが、この娘にはどこか欠けている。だから、この娘は、ロマンス作家が「奔放な情熱」と名づける感情の一つに駆られている女に他ならないのだ、とそんな風に見ることができれば、事はしごく簡単になるというものであろう。自分にいてもらいたくないという様子を見せるのであれば、さまで高く買わなくてすむであろうし、さまで高く買わなくてすめば、この娘の正体はずっと不可解でなくなるのだ。ところが、デイジーは、この場合にも、大胆と無邪気とを一つにした、謎のような態度を持ちつづけるのだった。
(pp.81-82)

 ジョイスプルーストに影響を与えたというだけあって、このあたりの心理描写は秀逸だ。
 デイジーはイタリア人の伊達男との逢い引きにウィンターボーンを伴ってゆき、二人の男を両脇に侍らせてローマの町を散策するのだが、いったい彼女はイタリア男と自分を両天秤にかけているのか、それとも自分に対してあてつけているのか、あるいは単なる気紛れなのか、彼にはさっぱりわからない。わからないから不安になる。そこで、デイジーはイタリア男のことが好きなので、自分が二人の間を邪魔していることをうとましく思ってくれればいいと願ってしまう。そうなれば彼の恋は破れるわけだが、代償として納得と安心を得られるからだ。だがそもそも彼を連れてきたのはデイジーなのだから、そんなことになるはずがない。かくしてウィンターボーンはいつまでたってもデイジーという謎から抜け出すことができない。夏目漱石ならここで「ストレイ・シープ、ストレイ・シープ(迷える羊)」と呟かせるところ*1だが、残念ながら男女の機微を導いてくれるキリストはいないのだ。

*1:三四郎

グッバイ、レーニン――クロポトキン書簡三通

 一〇月革命の勝利からほどなくして、国内ではテロが始まった。クロポトキンはこれを座視できなくなった。一九一八年九月一七日、レーニンにあててこう書いた。
 「きわめて深刻な問題、〈赤色テロ〉について話し合うためお会いしたく存じます。これについては、ご自身ずいぶんとお考えになり、悩んだ末に決めたことと思いますが、それでもロシアを愛し革命を愛する私として、またテロに関しあれこれと経験し思いをめぐらせてきた身として、私の姿勢を話すべきだと決心したしだいです。
 あなたにたいする襲撃や、ウリツキーの殺害があったあとですから、あなたの同志たちがいきり立つのもまったく無理からぬことです……。
 とはいえ、大衆には無理からぬことでも、あなたの党の〈指導者たち〉には許されてはならないことです。彼らがやっている大がかりな赤色テロの呼びかけ、人質をとれとの命令、とくに無差別な復讐のため拘留されている人びとを射殺していることは……、社会革命のリーダーたちにはふさわしくありません……。
 政治を統べる者、革命の波頭に立つ者はすべて、日夜政治的暗殺の危機にさらされていることを知らなければなりません。機関車の機関士のように、それが彼らの境遇の特別なところです。外国にいらしたからもちろんご存じでしょうが、政治家はこれに冷静に対処しております。アメリカでは、興奮のるつぼが沸きたったあの瞬間に、政党の主だった指導者たちはみなそうした生きかたをしておりました。
 ……もちろんご存じのように、一七九四年に保安委員会のテロリストたちは、民衆革命の墓を掘る結果となりました。
 騒擾にみちた党人生活のただなかで、フランス革命についての新しい著作をお読みになれたかどうかは知りませんが、こうした事実こそ、目下眼前に展開されているところなのです。一七九三年五月三一日に始まった民衆革命をささえたのは……、大都市の地区組織と地方の国民公会であり、救国委員会とりわけパリ・コミューンに体現された〈参事会〉でした。
 ところが、こうした革命的でときにはすでに建設的なものをはらんでいた勢力とならんで、保安委員会さらには、地区組織すべての内部に警察組織の末端が台頭してきたのです。しかもその警察勢力はテロが始まるや恐ろしく強化され、最初に地区組織を、ついでコミューンさらには救国委員会を併呑してしまったのです。それが委員会をありとあらゆる極端なテロへと、地方でのありとあらゆる蛮行に走らせ、地区組織を解体させて、それを革命の機関から全権をもつ警察の機関に変え、不良分子をのさばらせたのです。かくして一七九四年七月、血に飽きた民衆がジャコバン派から離反し、コミューンがテロリストたちによって解体され、地区組織にゴロツキがたむろするのを見さだめたブルジョアジーは、ブルジョア一派のジロンド党につごうのよい改革に踏み切ったわけです。
 自分たちが何をしているのか自覚していないあなたの同志たちは……、ソヴィエト共和国でまったく同じことをしでかそうとしているのです。
 ロシアの民衆は、創造的で建設的な力を大きくたくわえています。そして、そうした力が新しい社会主義的な原理で生活をきずこうとしていた矢先に……、テロをほしいままに任された警察の捜索の権限が、破壊と死の作業を開始して、建設をすべて台なしにし、生活をきずく能力のまったくない連中を登用している始末です。警察は、新生活の建設者にはなれません。それなのに、どこの町でも村でも警察が、いまや最高の権力になりつつある。                 
 ロシアをどこへ連れてゆこうというのか。最も悪質な反動へ連れてゆこうとしているのです……」。

 ところが『プラウダ』、『イズヴェスチヤ』紙に、エス・エル派のベー・サヴィンコフやヴェー・チェルノフ、白衛軍幹部らが人質にとられ、もしソヴィエト側要人が襲撃されたばあい、「容赦なくこれを処刑する」との報道がのるや、クロポトキンはいっさいの仕事をそっちのけに、ペンをにぎり、寛大な措置をとって「人質作戦とは相容れないはずの純粋な革命の理念」にたちかえるよう、訴えた。レーニンにあて、彼はこう書いたのだった。              
 「こうしたやり口は、中世の宗教戦争という悪しき時代への逆行であり、共産主義の原理にもとづいた未来社会をつくろうとする人間にはあるまじきことであって、共産主義の未来を尊ぶ人間がしてはならないことです。それを同志たちに指摘し、言い聞かせる人間がいなかったのでしょうか。
 人質とはなにか、だれひとり説明しなかったのでしょうか。人質は、なんらかの罪状で罰をこうむって入獄したのではありません。敵に向かってこいつを殺すぞとおどかすために拘留されているのです。
 ……これは、毎朝人間を刑場へ引きだしておきながら、〈まだだ、今日じゃないぞ〉と言うのと、同じではないでしょうか。こうしたことが、人質やその家族にとっては拷問の復活にひとしいことが、あなたの同志たちにはわからないのでしょうか。権力の座にある者も生きてゆくのはたいへんなのだ、などと言ってほしくありません。こんにちでは、王侯連中でも命を狙われるのは〈彼らの置かれた立場の特殊性〉だと見ているくらいです。
 ところで革命家たちは、ルイーズ・ミシェルがやったように、自分たちの命を狙った人間を法廷では弁護するのです。あるいはそうでなくとも、マラテスタやヴォルテラン・デ=クレールのようにそれを迫害したりはしないものです。王侯や教会権力でさえ、人質のような野蛮な自己防衛の手段はさけてきました。新生活を提唱し、新たな社会を建設する人間に、どうしてこんなやり口にうったえたりできるのか……。
 これは、あなたがみずからの共産主義的実験を失敗とみとめ、もはやあなたにとっても貴重なはずの生活の建設ではなく、自分自身を救おうとしているのだと思われないでしょうか。
 あなたがた共産主義者は、たとえどのような誤りをおかそうと、未来のためにこそ働いているのであって、だからこそいかなる場合にしろ、動物的恐怖にひとしい行為でもって、その事業をけがしてはならない。そのことを、あなたの同志たちは自覚していないのでしょうか……。あなたがたの最良分子には、共産主義の未来のほうが自分の命よりも尊いものと信じております。この未来に思いをいたすなら、こうしたやり口をあなたがたは排除されるはずです。
 大きな欠陥が多々あるにしろ、ごらんのとおり私はそれを如実に目撃しているわけですが、一〇月革命は巨大な前進をはたしました。西ヨーロッパでは、社会革命は不可能と思われはじめていましたが、そうでないことを示してくれました。しかも、多々欠陥があるにもかかわらず、平等の方向へむかって前進をとげつつあり、過去へ回帰しようとする試みもこれを押し止めることはできないでありましょう。
 社会主義にも共産主義にも無縁な欠陥、旧体制とすべてを滅ぼし尽くさねば気のすまない権力に固有の旧悪、そうしたものの残りかすによって破滅する道へ、なぜ革命を追い込もうとするのでしょうか」。

 会談の終わりに、レーニンは「革命時におかしてはならない」誤りについて、クロポトキンに書いてよこすよう申し出ている。
 クロポトンはその申し出を請けて、一九二〇年三月四日にレーニンにあてて手紙を書き、生活を維持することもできない俸給で暮らしている、地方の勤務員たちのひどい窮状を訴えた。地方で起こっている餓死やその他の惨状にふれ、最後にこう結んでいる。
 「われわれが目下直面している事態から脱するには、ひとつしかありません。もっと正常な生活状態に早急に移ることです。こうした事態は長くはつづきませんし、いずれは流血のカタストロフィーにゆきつくでありましょう。同盟国からの機関車も、そもそもわれわれ自身に必要なロシアの穀物や麻、アマ、皮革を輸出したところで、住民の助けにはなりません。たとえ党の独裁が資本主義体制に打撃をあたえる(この点、私は強い疑問をおぼえます)に格好の手段だとしても、新たな社会主義体制をきずくうえでは、文句なしに有害です。地方の建設、地方の勢力が必要不可欠なのに、それがありません。どこにもないのです。そのかわりに、実状をまったく知らぬ人間たちによって、一歩ごとに粗維きわまりない誤りが重ねられ、おかげでたくさんの生命が失われ、多くの地域が危胎に瀕するはめになっております。
 ……地方勢力の参加がなければ、下からの、そもそも農民と労働者たちによる建設がなければ、新生活の建設はできません。
 このような下からの建設こそ、本来ソヴィエトが果たさなければならないものと思われます。それなのに、ロシアはすでに名目だけのソヴィエト共和国になりさがってしまいました。『党』の人間が、大半が新たに生まれた共産党員たちですが(観念的で、中央の連中に比較的多い)、群がり集まって牛耳っており、ソヴィエトというこの将来性のある機関の影響力と建設力を、早くも排除してしまいました。いまやロシアを支配しているのはソヴィエトではなく、党委員会です。その建設は、官僚による建設という欠陥にあえいでおります。
 いまのような混乱からぬけ出すには、ロシアは地方の勢力の創造力にすがるしかありません。これこそ、新生活をきずきあげるファクターになれるものと思います……。こうした脱出策の必要性が早急に認識されればされるほど、よいでしょう。いまの状態がこのまま続くなら、そもそも『社会主義』という言葉自体が呪いになりましょう。ジャコバン派の支配から四〇年を経て、フランスで平等の観念がそうなったのと同じです。
                同志としてのあいさつをこめて
                           ペー・クロポトキン

 しかし、病床の彼をなおも悩ませ苦しめていたのは、無力感と懐疑であったと思われる。この革命のネガティヴな現状を突き抜けて、どのようにして自由なコミューンの世界をロシアの民衆のために切り拓くことができるのか。文章を書くという自分に残された最後の武器によって、はたしてそれが可能だろうか……。そうした自責の念や思いつめた想念がクロポトキンから眠りを奪うこともしばしばだった。そんなおり、彼は夜を徹して「アナーキズム的なコミューンの将来計画」を書きなぐるのだった。そのあとにかならずやってくる激しい虚脱と疲労にもかかわらず、クロポトキンはそうせずにはいられなかったのである。そしてまたもや、疲労のあげくに襲ってくるのが、「書いて書いて、書きまくっても、何もかもむなしい……」との思いであった。
 こよなく音楽を愛し、「世界が破滅してもベートーヴェンの第九交響曲は残る」と語ったバクーニンは、結局最後には音楽家に看取られてこの世を去った。クロポトキンも、大の音楽好きであった。死が直前に迫っているなかで、見舞い客のたえた時、クロポトキンはペリーニの『ノルマ』をくりかえしくりかえし独りで弾いていたという。これは、若くして失った実母が好んで弾いていた曲であり、時には二時間も休みなしに演奏してピアノの前を離れなかった。そんなおり、クロポトキンは母の思い出に浸っていたのだろうか、涙をうかべながら弾いたことを述懐している。娘婿のレベヂェフも演奏にたけていて、一度は見舞いがてらにスクリャービンの「左手のためのエチュード」をかなでて、クロポトキンをひじょうに喜ばせた。
 いよいよ死期が近づいたころ、クロポトキンは外界にたいしほとんど反応を示さなくなり、すっかり寡黙になった。長い沈黙に不安をおぼえ、耐えられなくなった周囲の付き添いに、クロポトキンはぽつんと答えるのだった。「もう何もかも、どうでもよくなってしまったよ」。ジュネーヴ以来の神経痛、心臓発作の激痛に加え、肺炎による咳と高熱がクロポトキンに最後の打撃を用意していったのである。「死ぬって、ほんとうに大変なことなんだね」、このひとことが寂しい死を強制された老革命家の最後に口にした言葉であった。
 悲劇はこれで終わらなかった。クロポトキンの永眠からわずか一か月後に、ロシアの国内をゆるがした例のクロンシュタットの蜂起が発生し、やがて鎮圧されて終わった。(「解説とあとがきにかえて」pp.353-354)

クロポトキン伝 (叢書・ウニベルシタス)

クロポトキン伝 (叢書・ウニベルシタス)

プルートウ――冥府よりの破壊者あるいは福音の使徒?

PLUTO (3) (ビッグコミック)

PLUTO (3) (ビッグコミック)

 この漫画の原作(というか原案というべきか)は手塚治虫鉄腕アトム「地上最大のロボットの巻」。プルートウという謎のロボットが最強をめざして世界各地の強力なロボットを破壊していくという内容だ。
 しかし、原作ではあまり出番のなかったロボット刑事ゲジヒトが全編を通して活躍していることに加え、ロボットの社会進出による人間との軋轢という、少年漫画という制約のあった『鉄腕アトム』では深く描ききれなかった題材を扱っている点でも、アイザック・アシモフのSFロボットミステリ『鋼鉄都市』の影響が強いような気がする。
 そう思って『鋼鉄都市*1』の頁をぱらぱらとめくってみると、初読時とはだいぶ違った印象を受けた。こういう小説の読み方はあまりよくないのだろうけれども、どうしても活字の向こう側にある社会が透けて見える気がしてならない。

「保証書はよかったわね!」女はキンキン響く声で叫ぶと、ほかのものをふりかえって笑った。
「あなたがた、聞いた? この男は、あいつらのことをうちの者、店の者っていってるわ! ねえあんた、いったいなんのつもりなのよ、え? あいつらは人間じゃないのよ。ローポットじゃないの!」女は、故意に、その言葉をいやらしくひきのばして発音した。「それに、万が一あんたが知らないといけないから、教えてあげましょうか、え、こいつらがどんなことをしたかを。こいつらは、人間から職場を盗んだのよ。だから、政府が、いつもこいつらをかばうのよ。こいつらは機械だから、無償で働くわ。そのおかげで、家族をかかえた人間様が、バラックに住んで、なまのイースト粥をすすらなけりやならないんだわ。働き者の、いい家の人間様がよ。こんなローポットどもなんか、みんなたたき壊してやるわ、もしわたしが大臣だったら――ほんとよ、あんた、わたしやるわよ!」
(ハヤカワ文庫版 p.47)

 これなんか、どうしても隠喩的に読みたくなってしまうな。
 UFO現象の一部が特にアメリカにおいて共産主義やその他未知のものに対する恐怖感や不安感に支えられていたように*2、ロボットもまた未知の存在・異質な存在の象徴という側面を持っていたのだ。
 ちょうど今、アメリカでは不法移民規制の問題をめぐってひと騒動起きているけれども、この問題は移民国家であるアメリカにとって切っても切れない問題なのだろう。
 安価でいくらでもこき使える単純労働者を国内に欲している産業分野にしてみれば、社会保障費もかからない不法移民は本音を言えば大歓迎なわけだが、実際に彼らが生活圏に侵入してくる人々にとってはそうではない。無償とはいわないまでも極度の低賃金で働く彼らに自分の職を奪われるかもしれず、彼らのせいで治安が悪化するかもしれない。そこで法に則っていないという理由で彼らの流入を阻止しようとするわけだが、その究極的な根拠は法ではありえない。なぜなら、もとを辿ればアメリカ人のほとんどは移民であり、それも先住民であるネイティヴアメリカンの土地を奪って住みついたのだから。一般に法はどれも多かれ少なかれ暴力的なものであるといえるが*3、殊にアメリカの場合は移民の不法性を問うならば、自らの起源に遡行してその暴力性と正当性の如何を問うことにもなりかねない。歴史が浅いだけあって、ピルグリム・ファーザーズを初めとする始祖たちの足跡は、神武天皇の東征伝などと違い、神話として祭り上げるにはいささか生々しすぎるほど明瞭に残されている。
 そこで、表面的には法を振りかざしているとしても、不法移民排斥の根源的な大義名分は「あいつらは人間じゃないのよ」、言い換えれば‘私たちとは違うのよ’という、法よりも単純素朴な二分法的感情に準拠することにならざるをえない。そうするとかえって、国民であるか否かで人を分ける国家の持つ暴力性が浮かび上がってしまうのだが。そうして境界線を引き、分割した内側にできた国家は単一にして不可分なものとして措定されるのだよな。
 ところでロラン・バルトによれば、「〈空飛ぶ円盤〉の謎は、最初はまったく地上に属するものだった」。それというのも、「円盤は、知られざるソ連から飛んでくると思われていたから」である。そして「ソ連というのは、別の惑星のごとく、明白な意図が分からないあの世界のことなのである。しかもこの神話の形態は、その惑星的な展開を萌芽の状態ですでに含んでいた。ソ連の兵器である円盤が、こんなにもあっさりと火星の兵器に変わったのは、実のところ西洋の神話が、一つの惑星という他性そのものを共産圏に帰しているからである。ソ連は地球と火星の中間に位置する世界なのである」。
 そしてバルトは次のように続ける。

 さらに意味深長なのは、火星が地球のそれをそっくり敷き写した歴史的決定論を、暗黙のうちに授けられていることである。誰かは知らないがアメリカの学者が声高に言ったように、そしておそらく多くの人がひそかに思っているように、円盤は地球の地勢を観察に来た火星人の地理学者の乗り物であるというのは、火星の歴史がわれわれの世界と同じリズムで成熟し、われわれが地理学や航空写真を発見したのと同じ世紀に地理学者を産み出したからである。唯一火星のほうが進んでいる点は、その乗り物自体であって、火星は理想化のあらゆる夢想におけると同じく、そうした完璧な翼を授けられた夢の地球にすぎない。多分、われわれ自身が、もしもこのように構築した火星に上陸する番になったら、地球そのものしか見出さないだろうし、同じ一つの歴史から生まれたこれら二つの産物のあいだで、どちらがわれわれのものか見分けがつかないだろう。火星がその地理学の知に到達するためには、火星もまたそのストラボン、そのミシュレ、そのヴィダル・ド・ラ・ブラーシュを持っていたはずであり、次から次にわれわれと同じ国民、同じ戦争、同じ学者、同じ人間たちがいるはずなのだ。
 こうした論理でゆけば、火星は地球と同じ宗教を持っておらねばならず、もちろん、われわれフランス人に言わせれば、奇妙にもそれはわれわれの宗教だということになる。『リヨンの進歩』紙は、火星人たちは必然のなりゆきとしてキリストのような人物を持っていたと述べている。ゆえに火星人たちには教皇もいる(さらには、東西教会の分離の端緒も開かれているわけだ)。さもなかったら、彼らは惑星間を航行する円盤を発明するほど文明化できたはずがなかろう。この新聞にとっては、宗教と技術的進歩は、文明の貴重な財産という同じ資格を有しており、片方なしには他方もないのである。同紙は次のように記している。自分たちの手段によって地球に到着できるような文明の段階に達している生物たちが、異教徒であるとは考えがたい。彼らは、神の存在を認め、独自の宗教を持った、有神論者であるに違いない

(強調部は原文傍点。バルトの引用は全て『現代社会の神話*4』下澤和義訳、みすず書房所収の「火星人」より))

 円盤を巡ってこうした奇妙な言説が紡がれる理由を、バルトは「こういった精神不安は、〈同一者〉の神話」であり、「〈他者〉を想像することが不可能であるというのは、プチ・ブルジョワジーのどんな神話にもある定数的な特徴の一つだからだ。他者性というのは、「良識」にとって最も不愉快なものである」と説明している(プチ・ブルジョワジーという語彙がなんとも時代を感じさせますな)。
 ロボットに話を戻すと、それはチェコの作家カレル・チャペックによって創造され、ユダヤ系ロシア人移民のアイザック・アシモフロボット工学三原則を樹立したのであり、二人はともにソ連の勢力圏にある国・地方の出身であるということを想起してよい。ロボットに与えられた、人間に危害を加えてはならず人間に服従しなければならないという規格は、〈他者〉であってはならない、〈同一者〉となるべく務めなければならないアメリカで生きる作家自身にとっての処世術でもあったのではないか。
 ここで映画『ブレードランナー』で、人間に叛逆したレプリカント*5を退治した主人公に投げかけられた「You've done a man's job!」という言葉を思い出してもいいかもしれない。これは「男の仕事を成し遂げましたね」だけではなく、「人間の仕事を成し遂げましたね」という意味ともとれる。そして、ラストシーンで主人公もまたレプリカントではないかと暗示されてこの映画は幕を閉じる。原作者のフィリップ・K・ディックも同一性と差異の問題に取り憑かれた作家であった。
 現代社会のロボット、つまり不法移民――無償に近い低賃金で機械のように働き、壊れても代わりがいくらでもいる――は同一性の神話からどうしてもはみ出してしまう。彼らはそもそも国籍が違うのだし、そしてまた場合によっては肌の色が違うのだし、信じる宗教が違うのだし、話す言語が違うのだし、生まれ育った文化の質も程度も違うのだし、その他色々とにかく自分たちとは違うのだ。自分たちと同じになるか、外的・内的な事情で同じになれないのであれば排除するしかない。
 こうした同一性の神話を打ちこわすにはどうすればいいか。試みに、冨山太佳夫が「弱い思想家」と呼ぶソ連バフチンの言葉に耳を傾けてみる。

人間とはけっして自分自身と一致しない存在である。人間には《A=A》という同一律の公式を応用するわけにはゆかない。ドストエフスキーの芸術思想によれば、人格としての個人が本当に生きる場所は、あたかも人間が自分自身と一致しないこの一点なのである。つまり何の相談も受けず、《本人不在のまま》盗み見られ、決めつけられ、予言されてしまうような事物的存在の枠を、彼が抜け出そうとするその点なのである。人格の真の生を捉えようとするなら、ただそれに対して対話的に浸透するしか道はない。そのとき、真の生はこちらに応え、自らすすんで自由に自己を開いてみせるのである。(pp.122-123)

 カーニバルにおいては、半ば現実、半ば演技として経験される経験的・感覚的形式の中で、外部の世界では万能の社会的ヒエラルヒーと真っ向から対立する、人間の相関関係の新しい様態が作り出される。人間の振舞い、身振り、言葉は、外部世界でそれらをまるごと規定していたあらゆるヒエラルヒー的与件(階層、地位、年齢、財産)の支配下を脱し、それゆえに通常の外部世界の論理に照らすと、常軌を逸した場違いなものとなる。常軌の逸脱こそカーニバル的世界感覚に特有なカテゴリーであり、それは無遠慮な接触というカテゴリーと有機的に結びついている。それは人間性の奥に秘められた側面が、具体的・感覚的な形式によって開示され、表現されることを可能にするのである。(p.249)

ミハイル・バフチンドストエフスキー詩学*6』望月哲男・鈴木淳一訳、ちくま学芸文庫

 つねに不純さを強いられた状能――デリダの言う、過去と未来の痕跡をつねに含んでいる現在。バフチンの営為のすべては、この力ある他者、自らの存在の必然性としてのこの不純さとの付き合い方をいかにして発明するかにあったと言えるだろう。しかも彼は、断じて力ある者の立場に身を置いてそれに取り組もうとはしない。彼のインターテクスト論は、織物のイメージで捉えられたテクストからは出発しないで、弱い者の使う発話と言語から、他者の発話と言説に浸透されたそれから出発する。彼のダイアローグ論の要点は、それがつねに他者の発話や言説、コンテクストと向き合っているということである。それは総合や和解に辿りつくための手段ではない。
 バフチンはダイアローグの概念によって、他者を自らの内に――例えばシミュラークル化によって――接収することも、逆に他者の内に接収されることも拒否しているのだ。ダイアローグは、このときひとつの抵抗の論理となる。バフチン的な主体はつねにダイアローグを強制されながら、その強制の装置そのものを利用して、つまり他者の武器を利用して、生き延びるのである。他者と自己はダイアローグによって関係を結びつつ、それによって根源的に断絶しているのだ。ヘテログロッサリア、ポリフォニー、そしてダイアローグ。自らの著作を他の人々に仮託しつづけた彼は、また自らの洞察を異なる概念に仮託しつづけた思想家でもある。
 バタイユを想起してみよう。個体の孤立性を解消して生の連続性に立ち戻るのをエロティシズムの理念とし、タブーによって差異化の枠組みのなかに身を置く共同体を、祭りや犠牲の場における侵犯行為を通して生の連続性に連れ戻すことを理念としたバタイユには、聖なる暴力という錦の御旗がある。彼の描くカーニヴァルは力をもつ者が、あるいは力が、差異を解消しようとする場である。それに対してバフチンの思い描くカーニヴァルは、暴力的な突破と差異の解消を目指すものではなく、異なる文化の顕在的な出会いと混淆の場として構想されている。出会いは侵犯にいたるのではなく、混在にいたるのだ。それでは、その混在はいかなる意味をもつのか。バフチンは答えなかった。答えないことによって、弱い思想家にとどまり続けた。文化の活性化のために? 誰がそんなこと信じるものか。
(「弱い思想家」冨山太佳夫ダーウィンの世紀末*7青土社、p.334-335)

 しかし、流入される側だけでなくまた流入する側にとっても、異質な他者との出会いを「侵犯」ではなく「混淆」と捉えることができるか。その上でそれがどのような意味をもつのか、どのような利益をもたらすのか知らずに、同一性の解体と混淆に耐えることができるか。『鋼鉄都市』のロボット刑事R.ダニールは「できる」と言う。

 R.ダニールはふと考えこんで、そしていった。「人間とロボットとの区別は、知性の有無の区別ほど意味のあるものではありません」
「おまえの世界ではな」とベイリが応じた。「だが地球ではそうじゃない」
(p.58)

 しかし人間の刑事ベイリの世界ではロボットの影響を蒙った失業者を宇宙移民として送り出すことができるのだが、われわれの世界ではそうはいかない。脱出することのできる外部は空間的にもシステム的にも今のところ存在しない。混淆はすなわちこの世界自体の変容を意味する。多大な困難を抱えつつもそれを志向することができるか。
 そしてまた、浦沢直樹は暴力と人間とロボットを、読む者に示唆を与えるような形で描ききることができるか。プルートウはいまだ全貌を露わにしていない。続刊が待たれる。

*1:ISBN:4150103364

*2:稲生平太郎何かが空を飛んでいる』など。

*3:ベンヤミン的にいえば法措定暴力と法維持暴力

*4:ISBN:462208113X

*5:人間に酷似したロボットのようなもの。

*6:ISBN:4480081909

*7:ISBN:4791753542

ナショナリズム逍遙

 フランスでは、かつてナショナリズムは左翼のシンボルであった。それが、十九世紀末から二十世紀初めにかけて右翼のシンボルと化した。フランス・ナショナリズムは、ジャコバン的共和主義を原動力とする左翼の思想から、反議会制民主主義を志向する右翼のイデオロギーとなったのである。ちょうどそれは、ジャンヌ・ダルクの表象がこの時期に右翼勢力によって領有されていった事実と符合している。ジャンヌが教会によって聖女として列聖されるのは、十九世紀末のことであった。ドレフュス事件がフランスを揺るがした十九世紀末に、愛国者同盟は、ナショナリズムを左翼から引き剥がして右翼に定着させた。それとともに、ナショナリズムに人種主義が混入していくことになる。(中略)


 前期第三共和政の歴史において、普仏戦争の衝撃はもっと強調されてよいだろう。エルネスト・ルナンが『フランスの知的道徳的改革』(一八七一年)を執筆し、「国民とは何か」(一八八二年)という講演をしたのも、敗戦とアルザス・ロレーヌのドイツへの割譲という現実があったからである。一八七〇年以前のデルレードは、歴史家ミシュレに国の予言者をみ、社会主義者のルイ・ブランに社会をなおす医者をみるという共和主義者であったが、それ以後の彼は、フランス革命の遺産である普遍主義の思想が「軍人精神」を死滅させて国家の危機を招いた元凶であると考え、「外国人によるフランスの搾取」でしかない国際主義の思想からフランスを守ることを訴え、右翼急進主義の代表となっていく。

(「対独復讐と人民投票的ナショナリズム」、福井憲彦編『結社の世界史3 アソシアシオンで読み解くフランス史山川出版社 p.204,205)

 ルイ十四世は「朕は国家なり(L'Etat, c'est moi.)」と言ったとされるけれども、ことほど左様に、かつて nation は Etat(体制、制度、ていうか国王)とその周囲のものでしかなかった。それを peuple*1 の手に簒奪しようとしたのがフランス革命にほかならず、その主力は議会の左側に席を占めた人々であった。ただし、peuple の範囲をどの程度まで想定するか(労働者は含まれるのか? 女性は? 子供は? 植民地の現地住民は? etc)は各派閥や個人によって開きがあったけれども。
 ナショナリズムが十九世紀末から二十世紀初めにかけて左翼よりも右翼のシンボルという意味あいが強くなったのだとすれば、それは左翼の持つ「フランス革命の遺産である普遍主義の思想」も与って力あったのだろうけど、左翼の一部急進派が反議会主義的な傾向を右翼と共有しつつも、共産党系であれ社会党系であれその他の党派であれ、多かれ少なかれインターナショナリズムを教義の根底に抱いていたからでもあるのだろう。とはいえ、インターナショナリズムアナーキズムなどと違って、あくまで個々の Nation を単位とした結びつきであるがゆえに、第一次大戦においてドイツでもフランスでもほとんどの社会主義者が敵対国の労働者や兵士との連帯よりも自国の挙国一致に進んで協力するといった事態も起こりえたのではあったが、基本的に反ユダヤ主義と排外主義を容認するものではなかった。
 右翼が国王を助けてイギリスを撃退した「救国の聖女」ジャンヌ・ダルクを領有したというのはこの上なく象徴的だ*2。それは日本で後醍醐天皇につき従った楠木正成が「大楠公」と称揚され、その反対に足利尊氏が貶められたことと似ている。そして、排外的なナショナリズムを奉ずる者の行く末をも暗示していたと思えてならない。というのも、ブルゴーニュ軍に捕らえられたジャンヌ・ダルクは、シャルル七世とその義母ヨランド・ダラゴンに見捨てられて火刑台の煙と消えたのだから。
 フランスが、往々にして個人崇拝や体制への権力集中を伴う愛国的ナショナリズムと排外主義の辿る惨めな末路を回避できたのには、ひとつには、ドイツのヒトラーや日本の天皇のような Etat を一身に体現する強力な指導者・機能が存在しなかったからであろう。引用文にあるポール・デルレードや、アクシオン・フランセーズのシャルル・モーラスやモーリス・バレス、それにブーランジェ将軍や火の十字架団のラ・ロック中佐などはそのような器ではなかったし、またその意志もなかった。もっともそれとて、ドイツほど経済危機が深刻であり、周囲を敵に囲まれているという感覚が強かったならどうなっていたかわかったものではない。たとえば、第二次大戦の勝敗と戦後復興の進捗が異なっていたら、ド・ゴールがそのような役割を果たしていたかもしれないのだ。
 いずれにせよ、ナショナリズムが左右両翼にとってともに運動を推進させる発動機となりえるうえに、そのとき Nation が peuple のものである保証は必ずしもないということを肝に銘じなければならないだろう。

アソシアシオンで読み解くフランス史 (結社の世界史)

アソシアシオンで読み解くフランス史 (結社の世界史)

 ……あと、この本についてなんですけど、幅広い分野の結社を紹介している反面、ものによってはいまいち個々の情報量が少ないかなあという感じです。ま、入門書ということで、とっかかりとしてはよく纏まっているのではないでしょうか。

*1:英:people

*2:ただし、ジャンヌ・ダルクナショナリストと見なすのは後世のもので、彼女はなによりもまず神の意志に従っていた。

身近にあるサイボーグ技術

 私は長いこと歯医者に通っていたのだけど、先日ようやっと乳歯*1を一本抜いてその隣の歯の神経を抜き、穴埋めのためにブリッジ*2を嵌め込んで、治療が一段落した。
 ブリッジを装着して数日、口の中の異物感には慣れたのだけど、食事が不味くなったのはどうにも耐えがたい。まず、歯ごたえがヘンだ。ブリッジを着けるための接着剤のせいなのかどうか知らないが、なにを噛んでもガムのような感じがする。おまけに、味もわかりにくくなったような気がする。私は手遅れだけど、歯は大事にしましょう、ホントに。
 だがしかし、Wikipediaで次の一文を目にしたとき、私の中で認識論的転回ともいうべきものが起こった!*3

広義にはコンタクトレンズ義歯などもサイボーグに含まれる。
Wikipedia:サイボーグ

 そうか、俺はサイボーグなのか!
 そういえば、攻殻機動隊のバトーや草薙素子もサイボーグ用の不味い食事を食べていたっけ。ま、サイボーグだからしかたないなあ。とかいってむりやり自分を納得させたりして。

*1:ウン十年生きてきてまだ乳歯があることに去年の暮れまで気づかなかった。

*2:抜いた歯の両脇を削ってそこに固定するタイプの義歯。

*3:大袈裟です。

Charles Baudelaire“Assommons les Pauvres!”(4/21追記)

 またボードレールの翻訳。今回は『パリの憂鬱』の中で私が一番好きな、というか印象に残っている詩。既約を参照してないのでとんでもない誤訳がありやしないかヒヤヒヤする。

貧乏人を殴り殺せ!


 二週間のあいだ私は自室に閉じこもって、当時(十六、七年前のことだ)流行りの書物に取り囲まれていた。それらの書物というのは、大衆を二十四時間で幸福、賢明そして裕福にする技術を扱ったものである。私は消化した――というよりも鵜呑みにした、つまり、公共の福祉を企図する全ての人々――貧民たちに奴隷になれと忠告する人々、お前たちはみな廃位された王だと説き伏せる人々――の苦心の末の愚論をだ。――その頃の私が錯乱あるいは痴愚に近い精神状態にあったことを驚くことはなかろう。
 私は、近ごろざっと目を通した辞書にあった淑女のしきたり全てより高尚な、ある観念のあえかな芽生えが、私の知性の底に閉じこめられているような気がしてならなかった。しかし、それはある観念の観念、ごく漠然とした何かにすぎなかった。
 私は大きな渇きを抱いて外に出た。というのも愚劣な読書に対する情熱的な意欲は、それに応じた大気と清涼剤に対する欲求を引き起こすからだ。
 私が居酒屋に入ろうとしたところ、一人の乞食が、もし精神が物質を動かし、催眠術師の眼が葡萄を熟させるのならば、それは王位をも転覆させるであろうという猛烈な忘れられない視線を添えて、私の前に帽子を差し出した。
 同時に、私は耳にささやきかける声を聞いた。よく聞き知った声、それはどこでも私についてくる守護天使、さもなければ守護悪魔の声だった。ソクラテスだって守護悪魔を持っていたのだから、どうして私が守護天使を持っていないということがあろうか、またソクラテスのように、鋭敏なレリュや思慮深いバイヤルジェが署名した、精神錯乱の資格証明書を手に入れる光栄に浴してはいけないということがあろうか? 
 ソクラテスの悪魔と私の悪魔のあいだには、ソクラテスのそれが彼を守り、警告し、邪魔するためだけに現れるのに対し、私のそれは助言し、提案し、説得してくれるという違いがある。哀れなソクラテスは禁止者としての悪魔しか持たなかったが、私のそれは偉大なる肯定者であり、行動の悪魔であり、闘争の悪魔なのだ。
 さて、その声が私にこう囁いた。「他人と平等であるのは、そのことを証明する者だけだし、自由に価するのは、それを征服することができる者だけだ」
 即座に、私はわが乞食に飛びかかった。たったこぶし一撃で彼の片目をつぶしてしまったのだが、それは一瞬にしてボールのように腫れ上がった。彼の歯を二本折るのに、自分の爪を一本割ってしまったうえに、生まれつきひ弱で、ボクシングの経験もほとんどなく、この老人を速やかに殴り倒すほど自分は屈強ではないと感じていたこともあって、片手で彼の衣服の襟を握り、もう片方の手で喉をつかんで、彼の頭を力一杯壁にぶつけだした。白状しなければならないのだが、私は事前に目の届くあたりを調べて、こんな人気のない町外れなら、かなり長いあいだ、警官の巡回はなかろうと確かめておいた。
 次いで、肩胛骨を折るに十分な勢いの蹴りを背中に加え、この弱々しい六十絡みの爺さんに土を舐めさせると、地面に転がっていた太い木の枝を手にとって、ビフテキを柔らかくしようとする料理人のように、執拗なまでの根気でもって彼を打ちすえた。
 すると突然――なんたる奇跡! おお、自らの理論の素晴らしさを実証した哲学者の喜び!――私はその老いぼれた身体が体勢を変え、ひどくボロボロの節々に私が想像だにしなかった力を込めて立ち上がるのを見た。そして私には吉兆と映った憎悪の眼をして、老いさらばえた盗賊は私に飛びかかり、両目を殴って腫れ上がらせ、四本の歯を折り、同じ木の枝で何度も叩きのめした。――私の力ずくの治療が、彼に自尊心と生命力を取り戻してやったのである。
 そこで、議論は終わったと私が考えていることを彼に理解させるために何度も合図して、ストア派ソフィストの満足感とともに立ち上がると、私は彼に言った。「ムッシュー、あなたは私と対等ですよ! どうか私の財布をあなたと分かち合う光栄をお許しいただきたい。そして、覚えておきなさい、もしあなたが真に博愛家であるならば、あなたの同胞に施しを求められたとき、私が苦しみつつもあなたの背中に試みた理論を、全員に適用しなければならないと」
 彼は私の理論を理解し、私の助言に従うことを固く誓った。

http://baudelaire.litteratura.com/le_spleen_de_paris.php?rub=oeuvre&srub=pop&id=187

 「大衆を二十四時間で幸福、賢明そして裕福にする技術を扱った」本というのは、今でも流行っていますナ。
(ちょっと追記)
 この詩はおそらくボードレール晩年の1865年ごろ書かれたものと考えられているので、その十六・七年前ということは、おおよそ一八四八年から四十九年ごろと考えられます。ということは、一八四八年の二月革命の余塵さめやらぬ頃のことなのかもしれません*1。革命に際して、ボードレールはブランキ主義者の組織に名を連ねたり、暴動に加わったり、短命に終わりはしましたが革命派の新聞を出版したりしています。この革命は、ルイ・フィリップ七月王政を打倒して第二共和制を切り開いたもので*2、フランスにおける最後の成功した革命だったわけですが、その原動力となったのがパリの労働者たちでした。
 しかし、労働者といってもおおまかに分けて二種類ありました。一つは、職人の親方や小商店主などの上層労働者、もう一つは、文字どおり徒手空拳の、賃金労働者や徒弟職人などの下層労働者です。どちらかというと前者は支配階層であるブルジョワに近いわけですが*3、後者はむしろブルジョワ共和主義者からは王党派やボナパルティスト以上に警戒されていた嫌いがあります*4
 というのも下層労働者にとって、革命はブルジョワ革命では飽き足りません。低賃金・無保障で長時間の重労働を強いられる境遇が変わらない限り、言論の自由参政権が与えられたところで、彼らにとっては腹の足しにもならないからです。そこで、法の下の平等を越えて、経済的な平等、あるいはそこまで行かずとも待遇の改善を要求する運動が勃興するのは避けられない趨勢でした。それがイギリスに追いつき追い越すためによりいっそうの資本蓄積を目論むブルジョワにとって有難くないことは言うまでもありません。当時はまだ、従業員の福利厚生の必要性や、それによる作業能率の向上との関係が経営者の間では一般に認められていませんでした。
 ラマルチーヌを首班とする臨時政府も社会主義的な思想を持つルイ・ブランを迎え、国立作業場を設けて失業者の救済を図るなどの対策をうちだしはしましたが、いろいろあってうまくいかず*5、早くも四月には地主・農民層の支持を失ったルイ・ブランが選挙で落選してしまうなど失政が続き、労働者たちの新政府に対する不満は爆発寸前になってしまいます。六月には国立作業場の閉鎖に反対して決起した労働者たちを、カヴェニャック将軍率いる政府軍が弾圧・虐殺し、これ以後ブルジョワ共和政府と労働者たちは敵対関係に入っていくことになります。ルイ・ボナパルトの大統領就任からクーデターと皇帝即位がすんなり成功したのには、共和政府や国民議会議員に対する労働者大衆の不信感や憎悪が一役買ったことはまちがいないでしょう*6
 こういった歴史的背景を念頭に置かないと、tous ces entrepreneurs de bonheur public, - de ceux qui conseillent à tous les pauvres de se faire esclaves, et de ceux qui leur persuadent qu'ils sont tous des rois détrônés(公共の福祉を企図する全ての人々――貧民たちに奴隷になれと忠告する人々、お前たちはみな廃位された王だと説き伏せる人々)という一節をうまく呑み込むことはできないかもしれません。
 入り組んだ路地を取り潰してバリケードの設置を困難にし、反乱や革命を未然に阻止する一方で、父性的温情主義政策によって労働者階級を手なずけようとした第二帝政期末にこの詩を書いたボードレールは、自らが主翼を担った革命の帰趨に失望して武器を手に街路を埋めた大衆の姿と、その結果流された大量の血を思い起こしていたのかもしれないのです。 

*1:ついでに言えば、一八四八年はマルクスエンゲルスの『共産党宣言』が発表された年でもあります。

*2:まあ、数年後には第二帝政にあっさり移行するわけですが。

*3:とはいえ、産業や商業の近代化が進む過程で、彼らの多くも没落してゆくのですが。

*4:ルイ・シュヴァリエ『労働階級と危険な階級』を参照

*5:そもそも、うまくいかせようとする意図が政府にはなかったとも言われるのですが。

*6:このあたりのことは、カール・マルクスの『フランスにおける内乱・階級闘争』『ルイ・ボナパルトブリュメール一八日』や喜安朗『夢と反乱のフォブール』『パリの聖月曜日』、谷川稔『フランス社会運動史』などを参照。