多和田葉子の『容疑者の夜行列車』を読んでいたらたまらなく列車の旅がしたくなってきた

容疑者の夜行列車

容疑者の夜行列車

 本を開く前にまず、表紙の写真をじっくり眺めてみる。
 やや斜め左に伸びた線路のむこうには停車しているらしい車両の後尾が見え、右側の転轍機の奥にある引き込み線にも、幾両かの列車が止められている。さらにその先には平屋建ての質素な家が建ち並んでいる*1。おそらくここは車庫のようなところなのだろう。あるいは線路のむこうには駅があるのかもしれず、進行方向にある列車はそのために停泊しているのかもしれない。
 地面のあちらこちらに雪が残っているのをみると、季節は冬、もしくは寒冷な土地なのだろう。生い茂る短い草やか細い立木のようなもののどれにも花が咲いている様子はない。映っている人々は厚いコートを着こんでおり、男性の幾人かは帽子をかぶり、女性はみなスカーフのようなもので頭部を包んでいる。はっきりとは判らないが、人々の風体や風景の雰囲気から察するとどうやら東欧からスラブあたりの地方のようだ。白黒写真であることや、線路の枕木がいやに不揃いなこと、電車用の電線がないため機関車が動力であるらしいことなどから、かなり昔に撮影されたものに見えるが、精確な年代までは推量できない。
 それにしても、これはいったいどういう状況を写したものなのだろうか。気になるのは、画面中央左端に制帽らしきものをかぶってネクタイをした人物が三人いることだ。彼らは鉄道会社の職員なのかもしれないが、見ようによっては軍人に見えないこともない。それも、殊にSSの将校に。彼らの視線の先に位置するように見える、俯いて枕木を踏んでいる男性の、背後から光を浴びて影になり表情も隠れている様子がさらに不安をかきたてる。
 しかし、そんなことはあるはずがないとすぐに思い直す。なにしろ、画面の中央には線路に右足をかけてアコーディオンを演奏している髭面の男がいて、その後方を歩む人々はみな表情に微笑みを浮かべているのだから。撮影者にむかってだろう手を振っている女性までいる。だからこれは旅先の平和な光景を捉えたなにげないスナップにすぎないのだ。それでもどこか翳りを帯びていることは否定できないにしても。
 異国の人々の笑顔に触れることは旅において最も心愉しい瞬間のひとつだろう。たとえそれがまさに袖振れ合うほんの一瞬のことにすぎないとしても。というよりはむしろ、一瞬にすぎないからこそ、日常のしがらみから放れた交歓が可能になるのだと言うべきか。だがもちろん、旅、それも海外の旅で出会うのは笑顔ばかりではあるまい。悪意や思いもかけないトラブルも待ち受けているにちがいない。まるでこの写真が微笑ましい光景のうちに一抹の不安をも垣間見せるかのように。
 そうしてここまで表紙の写真を「読んで」からようやくページを開く。あとは何を置いても読み進めていくだけだ。植草甚一ではないが、これほどに惹きつけられる装丁の本は面白いに決まっているのだから、中身については語るだけ野暮というものだろう。
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*1:この部分は背表紙。

*2:ちなみに、言わずもがなのことですが、この写真は斎藤忠徳氏の手によるものなので、おそらく1970年代の東欧を写したものです。