ツルゲーネフ『父と子』

父と子 (岩波文庫 赤 608-6)

父と子 (岩波文庫 赤 608-6)

 十九世紀の小説を読んでいると、この作品に限らず、物語が佳境にさしかかったところで登場人物が突然病気にかかってあっけなく死んでしまうという場面にしょっちゅう出会す。これは必ずしも作者の御都合主義というわけではなく、現代と比べて衛生状態や栄養の摂取が悪いうえに医学が進んでいなかった時代の産物だとも言われるが、中にはいささか安易な終わらせかた、つまり話が纏まらなくなってむりやり死なせちゃったんじゃないかという気がするものもないではない。それでいて昨今流行りの人死に小説のようなあざとさを感じないのは、死がわかりやすい感動や解決をもたらすのではなく、むしろ逆にその唐突さによって物語を宙吊りにする効果を与えているからなのかもしれない。安易っちゃ安易なんだけど。
(以下ネタバレあり)

 ――アリストクラチズム、リベラリズムプログレス、プリンシープル――その間にバザーロフは言った――まあ、考えてごらんなさい、なんて役にも立たない外国語の多いことだろう! ロシヤ人にそんなものなんか、ただでもいりませんよ。
 ――じゃ、あなたのご意見では、一たいなにが必要なのです! あなたの話をきいていると、われわれは人類とその法則のそとにおかれているようですな。とんでもない、歴史の論理が要求するのは……
 ――そんな論理がなんの役に立つんです? そんなもの、なくたって、やってゆけますよ。
 ――それはどういうわけだ?
 ――どうもこうもありませんさ、あなただって腹がへってるとき、パンの一きれを口にいれるのに、おそらく論理なんか必要とされないでしょう。われわれにとって、そんな抽象論なんかなんの役にたつんです?
 パーヴェル・ペトローヴィッチは両手をひとふりした。
 ――そんなことを言われると、わたしはあなたという人間がわからなくなる。あなたはロシヤの民衆をばかにしている。わかりませんね、どうしてプリンシープルを、原則をみとめないでいられるのか。あなたはなにによって行動しているんですか?
(pp.81-82)

 これは、旧世代の貴族的自由主義者パーヴェル・ペトローヴィッチ・キルサーノフと、新世代のニヒリストであるバザーロフとの論争。ちょうど明治時代の日本と逆という印象を受ける。日本の場合、明治の青年は西洋の学問や文化の摂取に邁進したわけだが、ロシアではエカチェリーナ女帝以来ずっと西洋文化と教養に通じてきた貴族階級を、若者が否定しているのである。
 といって、バザーロフが民族主義者やナショナリストというわけでもない。それどころか、西洋的教養を身につけたパーヴェルから、「あなたはロシヤの民衆をばかにしている」と非難されるのだから。

 ――いや、いや!――とパーベル・ペトローヴィッチは急に勢いこんで大きな声を出した――諸君がロシヤの民衆をよく知っているなんて、諸君が彼らの要求や志向の代表者だなんて、わたしはそんなことを信じたくない! いや、ロシヤ人は諸君の考えているようなものじゃない。彼らは伝統というものを大切にしています。ロシヤ人は族長的な国民です。彼らは信仰なしには生きることができない……
 ――ぼくはそれに反対しようとは思いません――とバザーロフはさえぎった――むしろその点でお説の正しいことをみとめたいと思います。
(p.83)

 バザーロフの言うとおり、パーベル・ペトローヴィッチのような人はロシア人がいかなるものか知っている。その性質は、「族長的」で「信仰なしには生きることができない」というものである。つまり王侯貴族とロシア正教の導きを必要とするということだ。彼の自由主義は貴族的なパターナリズムの枠を越えるものではないことがここで露呈している。

 ――ぼくの祖父は土をたがやしていました――バザーロフはほこらしげに答えた――彼らから見て、ぼくとあなたとどちらが同国人らしく思われるか、お宅の百姓たちのだれにでもきいてごらんなさい。あなたなんか百姓と話をするすべもご存じないでしょう。
 ――ところがあなたは百姓と話をしながら、同時に彼らを軽蔑しているんです。
 ――それは、彼らが軽蔑に価するんだから、仕方がないでしょう、あなたは僕の考えを非難なさるが、しかしこの考えが偶然のものだとか、あなたのしきりに弁護している、そのおなじ国民精神によってよびおこされたものでないなどと、だれかあなたに言ったものがありますか?
(p.84)

 旧世代の貴族主義者と対立しても、ナロードニキとちがってバザーロフは百姓や民衆を理想化することはない。そこがニヒリストたる彼の面目躍如といったところだ。
 しかしながら、そういった虚無的な姿勢が新社会の建設を図る勢力に反省的な視点を与えることなく、やがてエスエル党のテロリズムボリシェヴィキによるプロレタリアート独裁へと突き進むロシアの流れに呑み込まれてしまい、鬼子として『罪と罰』のラスコーリニコフという人物造形を生み出すことを、バザーロフのあっけない死が暗示していると言えなくもないが、それはこじつけというものだろう。