執着という名のイカリ

 昨日はあんなこと書いちゃったけど、さしあたって学校当局が有効ないじめ対策に積極的に取り組むなどということはとても考えられず、いじめ被害者が主体的に闘争するということが極めて過酷である以上、とりあえずは各自が逃げ場を確保するしかないかもしれない。
 といって、その逃げ場が空間的なものである必要はない。いつだったか確か香山リカが、アニメの続きが観たいという理由でもなんでも死なないための力になるならいい、というようなことをエヴァンゲリオンを引き合いに出して言っていたような気がするけど*1、俺なんかまさにその通りで、あああの小説も読みたい漫画も読みたいアニメも観たいと思ったら死ぬに死ねないもんなあ。こうして書くとわれながらみみっちい欲望で情けなくなるが、結果的に死なないで生きているのだから問題ない。
 そんなことを考えていたら、唯円の『歎異抄』のとある一節を思い出したので、ちょっと長くなるが引用してみる。

一 念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと[云々]。

(すげえいいかげんな現代語訳)
唯円:念仏を唱えてもいっこうに嬉しくならなくて、はやく浄土に行きたいという気持ちにもならないんですけど、これってどうなんですか?
親鸞:いや実は俺も同じなんだよ。よく考えてみればさあ、喜ぶべきことを喜ばないからこそ往生が約束されているってことなんだよね。喜ぶべき心をおさえて喜ばないのは煩悩のせいなんだ。だけど仏様はそんなこと先刻承知で、お前らは煩悩にまみれて悟りも開けない凡人だと仰っていることだし、他力の悲願はこのように俺たちのためなんだとわかって、ますます頼もしく思えてしょうがないよなあ。それに、はやく浄土に行きたいという思いがなくて、苦しいことがあって死んでしまうんじゃないかと不安になるのも、煩悩のせいなんだよ。ずっと昔から地べたを這いずり回ってるつらいこの世は捨てがたくて、まだ行ったことのない極楽浄土を恋しく思わないのは、まったくもって煩悩が暴れ回ってるからなんだ。名残惜しく思っても、娑婆との縁が尽きて、寿命が終わるときになってようやく、浄土に行くべきなんだ。はやく浄土に行きたいなんて気にならないやつのことを、(阿弥陀仏は)とくに憐れんでくれるんだな。これだからこそいよいよ大悲大願はたのもしいんだし、往生も決まっているんだと思いなさい。むしろ、嬉しくて早く浄土に行きたいと思うなんて、煩悩がないんじゃないかと不思議になっちゃうだろう。

 ここのくだりは信仰心なんてこれっぽっちもない俺でもありがたく感動するところで、死ねば神の国に行けるからといって死を促したりする教えがいかに非人間的かということを教え諭してくれる*2
 とはいえ死ねば苦しみから逃れられるというのは確かにそうなんだろうし、そうまで本気で思いつめちゃった子にはそれこそおためごかしの気休めにしかならないのかもしれないけど、そういう陥穽から逃れるには、死にきれないほど名残惜しく思う煩悩というか執着心を持つのも一つの手だろう。
 たとえば、古田織部を描いた漫画『へうげもの』に出てくる荒木村重の「名物*3」に対する執着はもの凄い。織田信長との戦に敗れて落ち延びた彼は、一族郎党を皆殺しにされ、頭を丸めて名前も道糞と変え、かつての自分の居城で羽柴秀吉に卑屈なまでに恭順してまでも生き延びようとする。それはなぜかというと、「たとえ卑屈になろうが……/己が城やったここで頭を下げようが……/わしは密かに勝っておる/生きてさえおればええ物を奏でられるんやからな/もはや信長にはでけへんことをやれるっちゅうわけや」(第三巻)ということだからだ。はたから見ればどんなにみっともなかろうが、彼にとっては生きて名物を愛玩できていれば勝ちなのだ。
 いわば、煩悩や執着心を逃げ場というよりも嵐の中でも船が流されないための錨として利用すること。
 こういうと、そんなのはフェティッシュ(物神化)だ、あるいは阿片だとマルクス先生に怒られるかもしれないけど、阿片を必要としなくても生きていけるような現実的条件が揃わない限り、阿片をなくすことはできないと先生もおっしゃっていることだし、勘弁してくれるでしょう。
 おっと、そろそろ「ギャラクシーエンジェる〜ん」を見なければならない時間なのでこの辺で……。

*1:実は全くの記憶違いかもしれない。間違っていたらすいません。

*2:ただし、信仰心なしでひたすら煩悩を全開にするというのはけっして親鸞の本意ではない。

*3:茶器

いじめ自殺問題について『神聖喜劇』の藤堂二等兵(というか大西巨人)を参考にしてみよう

 教室ないし学校を「特殊ノ境涯」として規定し成立させようとしたのは、ほかならぬ日本支配権力・国家主義者であったのである。絶対主義的学校の部分に組み入れられた教師が新入生にまず浴びせかけた言葉は、「学校は、家庭とは訳が違うぞ。」、「貴様は、家におるような気でおるんじゃろう?」、「家庭でならともかく、学校では……。」などであって、また一般人が入学生に与えた言葉も、「学校は世間とは別世界だから、そのつもりで気をつけて……。」の類であった。本質的に別世界であり得ず結局資本制社会・国家の部分である教室を「特殊ノ境涯」とする上からの規定は、彼ら支配権力が「我カ國體ノ精華ニシテ繁育ノ淵源」を「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(『教育ニ関スル勅語』)として建設した明治初頭以来約一世紀半の間に、国民大衆にむかって強力な現実的ならびにイデオロギー的攻撃として強制せられつづけた。そして支配権力の企図は、成功的に遂行せられたのである。それは、一方では教室をある意味における「特殊ノ境涯」として成立させたとともに、他方では人民大衆の頭に教室を別世界とする固定観念を植えつけた。この固定観念が国民大衆の封建的・後退的な要素と結合していた(そしていまも結合している)ことは、言うまでもあるまい。かくて教室は、言葉の世俗的な意味においてはたしかに「特殊ノ境涯」であったが、その真意においては、決して「特殊ノ境涯」でも「別世界」でもなく、最も濃密かつ圧縮的に日本の半封建的絶対主義性・帝国主義反動性を実現せる典型的な国家の部分であって、しかも爾余の社会と密接な内面的連関性を持てる「地帯」であった。 

 つまり、まずは教室を特殊な一種不可蝕の空間として観ることをやめねばならないのであって、兵営にあって藤堂二等兵がそうしたように、理不尽な仕打ちに対しては法に則った闘争がせられ、加害者に適当な処罰を下し、被害者の権利が守られてしかるべきなのである。軍隊においても学校においても、不当な暴行や人権の侵害は公的な一般社会にあるのと同様に法にもとるのであって、もしもこれらの場においてそれら現実的犯罪行為が「しごき」や「いじめ」などの婉曲的かつ事態隠蔽的なゴマカシの言葉によってウヤムヤにせられるようなことがあれば、それは即ち社会の法一般が蔑ろにせられるのと同断であり、ひいてはこの国のブルジョワ近代司法および行政が、もとよりその内部に村落封建主義的な馴れ合い体質や村八分による秩序維持の精神を護持していることの証左に他ならないのである。ましてや「いじめ」加害者の責任追及よりも自殺する被害者の精神的弱さの糾弾を優先し、その上で父母の恩や彼らの悲嘆を以て自殺を思いとどめせしめることを目論む言説は、まさに「教育ニ関スル勅語」に顕著な天皇制的儒教精神を体現しているものでしかあり得ないのである。

(元ネタ)
 兵営ないし軍隊を「特殊ノ境涯」として規定し成立させようとしたのは、ほかならぬ日本支配権力・帝国主義者であったのである。絶対主義的帝国軍隊の部分に組み入れられた上官上扱者が新入隊兵にまず浴びせかけた言葉は、「軍隊は、地方とは訳が違うぞ。」、「貴様は、地方人のような気でおるんじゃろう?」、「地方でならともかく、軍隊では……。」などであって、また一般人が入隊兵に与えた言葉も、「兵隊は世間とは別世界だから、そのつもりで気をつけて……。」の類であった。本質的に別世界であり得ず結局資本制社会・絶対主義国家の部分である兵営を「特殊ノ境涯」とする上からの規定は、彼ら支配権力が「此時に於て兵制を更め我国の光を輝さんと思ひ陸海軍の制を」(『勅諭』)建設した明治初頭以来約半世紀の間に、国民大衆にむかって強力な現実的ならびにイデオロギー的攻撃として強制せられつづけた。そして支配権力の企図は、成功的に遂行せられたのである。それは、一方では兵営をある意味における「特殊ノ境涯」として成立させたとともに、他方では人民大衆の頭に兵営を別世界とする固定観念を植えつけた。この固定観念が国民大衆の封建的・後退的な要素と結合していた(そしていまも結合している)ことは、言うまでもあるまい。かくて兵営は、言葉の世俗的な意味においてはたしかに「特殊ノ境涯」であったが、その真意においては、決して「特殊ノ境涯」でも「別世界」でもなく、最も濃密かつ圧縮的に日本の半封建的絶対主義性・帝国主義反動性を実現せる典型的な国家の部分であって、しかも爾余の社会と密接な内面的連関性を持てる「地帯」であった。
(「俗情との結託」大西巨人大西巨人文芸論叢 上巻』立風書房所収)

多和田葉子の『容疑者の夜行列車』を読んでいたらたまらなく列車の旅がしたくなってきた

容疑者の夜行列車

容疑者の夜行列車

 本を開く前にまず、表紙の写真をじっくり眺めてみる。
 やや斜め左に伸びた線路のむこうには停車しているらしい車両の後尾が見え、右側の転轍機の奥にある引き込み線にも、幾両かの列車が止められている。さらにその先には平屋建ての質素な家が建ち並んでいる*1。おそらくここは車庫のようなところなのだろう。あるいは線路のむこうには駅があるのかもしれず、進行方向にある列車はそのために停泊しているのかもしれない。
 地面のあちらこちらに雪が残っているのをみると、季節は冬、もしくは寒冷な土地なのだろう。生い茂る短い草やか細い立木のようなもののどれにも花が咲いている様子はない。映っている人々は厚いコートを着こんでおり、男性の幾人かは帽子をかぶり、女性はみなスカーフのようなもので頭部を包んでいる。はっきりとは判らないが、人々の風体や風景の雰囲気から察するとどうやら東欧からスラブあたりの地方のようだ。白黒写真であることや、線路の枕木がいやに不揃いなこと、電車用の電線がないため機関車が動力であるらしいことなどから、かなり昔に撮影されたものに見えるが、精確な年代までは推量できない。
 それにしても、これはいったいどういう状況を写したものなのだろうか。気になるのは、画面中央左端に制帽らしきものをかぶってネクタイをした人物が三人いることだ。彼らは鉄道会社の職員なのかもしれないが、見ようによっては軍人に見えないこともない。それも、殊にSSの将校に。彼らの視線の先に位置するように見える、俯いて枕木を踏んでいる男性の、背後から光を浴びて影になり表情も隠れている様子がさらに不安をかきたてる。
 しかし、そんなことはあるはずがないとすぐに思い直す。なにしろ、画面の中央には線路に右足をかけてアコーディオンを演奏している髭面の男がいて、その後方を歩む人々はみな表情に微笑みを浮かべているのだから。撮影者にむかってだろう手を振っている女性までいる。だからこれは旅先の平和な光景を捉えたなにげないスナップにすぎないのだ。それでもどこか翳りを帯びていることは否定できないにしても。
 異国の人々の笑顔に触れることは旅において最も心愉しい瞬間のひとつだろう。たとえそれがまさに袖振れ合うほんの一瞬のことにすぎないとしても。というよりはむしろ、一瞬にすぎないからこそ、日常のしがらみから放れた交歓が可能になるのだと言うべきか。だがもちろん、旅、それも海外の旅で出会うのは笑顔ばかりではあるまい。悪意や思いもかけないトラブルも待ち受けているにちがいない。まるでこの写真が微笑ましい光景のうちに一抹の不安をも垣間見せるかのように。
 そうしてここまで表紙の写真を「読んで」からようやくページを開く。あとは何を置いても読み進めていくだけだ。植草甚一ではないが、これほどに惹きつけられる装丁の本は面白いに決まっているのだから、中身については語るだけ野暮というものだろう。
*2

*1:この部分は背表紙。

*2:ちなみに、言わずもがなのことですが、この写真は斎藤忠徳氏の手によるものなので、おそらく1970年代の東欧を写したものです。

スパイナル・タップ

 今一番面白い深夜番組(当社比)の「Rock Fujiyama」でローリーやマーティー・フリードマンが薦めていたので見てみたところ、これが面白い!
 架空のロック・バンドのツアーに密着したドキュメンタリーという体裁のパロディ映画で、昔の人なら「スパイナル・タップ珍道中」などという邦題をつけそうなほど珍事が満載で終始笑いっぱなしだった。
 この映画に出てくる数々のハプニングは、元メガデスマーティー・フリードマンによればよくあることらしい。カッコつけたロック・ミュージシャンとカッコ悪いトラブルや言動のズレが笑わせるのだな。とはいえマーティー・フリードマンが日本の深夜番組で「ヌレヌレ」とか言っている*1のを聞くと、なんというかこちらの抱くイメージとのズレの大きさに戸惑うことがないでもないが。
 それはそうと、これはロックに限らず、特にステージ上でトラブルが起きたときこそミュージシャンの「プロ根性」*2が試されるのだろう。一例として、テナー・サックスのソニー・ロリンズはあるとき演奏中にステージから落ちて足を骨折したが、地面に寝ころんだまま怪我をする前と変わらずサックスを吹き続けたそうだ。恐るべし。

*1:マーティにこの言葉を教えたのはみうらじゅんと安西肇。しょうもないコンビだ。

*2:マーティー・フリードマンの口癖

ちかごろ世を騒がせている(というかマスコミが騒いでいる)必修科目未履修問題についてなど。

 本を読む暇がなかったのでしばらく放置していたのだが、なぜかアンテナで更新チェックされていたのをきっかけに復帰してみる。
 私は田舎の公立高校出身で、受験対策の必修逃れなどにはとんと縁がなかった。なんせ男子校であるにもかかわらず(本来は、であるからこそ、なのかもしれないが)、三年生になっても家庭科で男だらけの調理実習をやっていたりした。これには一番できの悪かった班の料理を担任に食べさせるといううるわしい慣習があって、みんな怪しい手つきながらもけっこう楽しくやっていたことを思い出す。要するに呑気な雰囲気の学校だったのだ。
 件の世界史の授業では、月に一回は世界不思議発見だのNHKスペシャルだのといったテレビ番組を授業中に見せられた。いちど冗談半分で「これって手抜きじゃないですか?」と教師に言ったところ、彼は概略「あのな、よく考えてみろ。中央公論*1の世界の歴史シリーズなんてこんな分厚いのが三十冊もあるんだぜ。それをこんな薄っぺらい教科書一冊で、しかも一年でどうやって教えりゃいいんだよ。どうせ受験対策の年表の暗記はほっといたって生徒が勝手にやるわけだし、俺は歴史に興味を持たせられればそれでいいんだよ」というようなことを答えたと思う。そりゃそうかもしれないけど教師が言うなよと思ったものだが、今になってみると、延々と知識の詰め込み授業をするよりはいくらかましだったのかもしれないと思わないでもない。というのも、東京の私立大学に入って最近はやりの「教育格差」なるものの一端に触れたからだ。
 大学時代の同級生の一人に「こんな大学来たくなかった」と愚痴ってやまない鬱陶しい奴がいた。なんとなれば彼はその名も高き超進学校の出身で、曰くその高校には「東大志望にあらずんば人に非ず」というプレッシャーが充満していたのだという。従ってそこでは彼のような私立文系は人間として扱われないらしい。恐ろしい。田舎でのほほんとした高校生活を送ってきた私にとってはまるで伏魔殿のようなところだ*2桐野夏生の『グロテスク』みたいな世界。
 というようなことは余談でありどうでもいいとして(よくないけど)、驚いたのは大学付属校からいわゆるエスカレーターで上がってきた連中である。彼らが受けた世界史の授業は、高度に専門的な歴史の著作を複数読んでレポートにまとめるのが中心だったという。つまり大学のような授業を高校でもうやっているわけだ。これは付属校の強みで、一般の受験対策をする必要がないからだ。おまけにフランス語やらドイツ語も高校のうちに学んでいて、すでに中級から人によっては上級レベルに達している。一方こちとらまだアルファベの発音さえ知らないのだ。井の中の蛙大海を知るというかなんというか、大学生にもなって遅まきながら、普通にやっていたらこんな連中に追いつくわけがないと気づいて愕然とした。そのおかげで勉強量と読書量を増やしたといえるので、痛し痒しではあるけれども。
 前回のエントリで立身出世的な教養について取りあげたけれども、実のところ知識や学識といった意味での真の教養というのはああいう連中のものでしかないのだ。つまり、階級的な文化遺産として、あるいはそれに準ずる経済的な富裕さによる早期教育によって、教養的知識やそれに対する志向を呼吸するのと同じくらい自然に学び身に付け、すでにハビトゥスの一部に組みこんでしまっている連中だ。
 そう考えれば、進学校といえども小中と公立に通ってきた生徒ばかりを擁する高校で履修逃れと受験対策を行うのは、現行の受験体制下ではやむをえない面もあるのかもしれないが、虚しいことだ。そんなことをすればするだけ、受験知識の詰め込みなどとうに超越している同年代の高校生たちにますます遅れをとることになるのだから。
 この問題を解決ないし少なくとも緩和するにはおおまかに言って二つの方向性があるだろう。一つは、階層分化を容認して、早期から児童・生徒を進学コースと職業コースに分けてしまうことだ。ただしこれから先ますます流動性が激しくなるだろう世界経済に、そのようなモデルで対応できるかどうかはフランスなどを見てもいささか疑わしいといわねばならない。早期に職業コースを選択してしまうと、その専攻分野の産業が衰退に向かったり、経済環境が悪化したとき、つぶしが利かずに就職・再就職できない人々が大量に生まれるだろう。
 二つ目は、現在議論されているバウチャー制度や公教育の無償化を通して教育機会と選択の多様性を確保し*3、さらに大学受験を現在のような暗記クイズではなくし、論述問題を中心にするとか、あるいは大学進学のための基準を設けたうえで思い切って受験を撤廃してしまうとか、統一的な大学進学資格試験を設けるとか。いずれにしても早期からエリート教育を受けている人々が有利なのは変わらないけれども。
 ま、それはそれで新しい問題が色々出てくるんだろうけど、前回取りあげた高田里惠子さんがおっしゃるように、近代以後が「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ、いかに生きるべきかを考え、いかに生きるかを決めるのは自分自身だ、という認識である」社会である以上、教育とそれに附随する問題は増えこそすれなくなりはしないよなあ。生まれたときから生き方も職も保障されてりゃ楽なんだろうけど。というわけで、デュランダル議長のデスティニー・プランですな、ここは。

*1:当時

*2:多分に誇張が混じっているものと思われます。

*3:ただし、その場合でも生徒個人の「自由な選択」は生育環境に多分に左右されることは言うまでもない。

書を捨てよ、砂漠を出よう。

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

 世の中には読むと「いやーな気持ち」になる本がけっこうあって、たとえば「非モテ」にとっては ミシェル・ウエルベックの小説だったりするのだが(ちなみに、わたしは「いやーな気持ち」を通り越して絶望的な気分になった)、学生時代によくわかりもしないくせに小難しい思想書や文学書を読みあさったりした覚えのある人にとって、これはそうとうに「いやーな気持ち」になる本だろう(ちなみに、私はなった)。
 この本は、少なくとも明治以降の日本における「教養」とか「教養主義」というものが、徹底してエリート主義的かつ立身出世主義的でありながらその反面ナルシスティックな純粋無垢さに憧れたりもする「いやったらしい」ものであることを、これでもかこれでもかと実例を挙げて見せつけてくれる。読み終わって、もう教養なんかまっぴらご免だ今後いっさい本なんか読むものかとつい取り乱してしまいそうになるぐらいである。
 で、話は飛ぶが、これを読んで思ったのは、文学史上名高いランボーのいわゆる「見者の手紙」は、教養主義的な文脈に引きつけて読むとけっこう「いやったらしい」ものとして受け取れる(ランボーが「いやったらしい」のではなく、受け取る側が)のではないかということだ。ここでいう見者の手紙とは、ポール・ドムニー宛のそれではなく、1871年5月31日付の、旧師であるジョルジュ・イザンバール宛の書簡*1である。
 高田里惠子は、教養を「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ、いかに生きるべきかを考え、いかに生きるかを決めるのは自分自身だ、という認識である」(p.017)と定義している。そこでランボーの書簡に戻ると、彼はイザンバールに向かって「教職にお戻りになられたのですね。人は社会に尽くす義務がある、あなたは私にそうおっしゃいました。(Vous revoilà professeur. On se doit à la Société, m'avez-vous dit )」と述べたあと、「私も社会に尽くす義務がある、それはもっともです――そして私には道理がある――あなたのおっしゃることも正しい、今日においては。結局、あなたはご自分の原則として主観的/主体的な詩しか見出されない――大学の教壇を取り戻さんとする執着も――失礼!(Je me dois à la Société, c'est juste, - et j'ai raison. - Vous aussi, vous avez raison, pour aujourd'hui. Au fond, vous ne voyez en votre principe que poésie subjective : votre obstination à regagner le râtelier universitaire, - pardon ! )」と揶揄する。
 ここで、「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ」という先ほどの定義を念頭に置いて、ランボーがイザンバールの詩の主体性/主観性と、大学の教職に未練を残す立身出世主義を併置していることに注目したい。そしてランボーがそのようなイザンバールの主観的で「おそろしく退屈な」詩に何を対置しているかというと、かの有名な「私とは他者である(Je est un autre)」「われ考える、ではなく、われ考えられる、と言うべきなのです。(Je pense : on devrait dire : On me pense)」という客観性/客体性の詩学である。
 これは文学的・言語論的には非常な重要性を持っているのだが、そういうことは脇に置いて、近代の立身出世主義と背中合わせの教養主義的な文脈で眺めれば、後に詩を抛棄して砂漠の商人へと身を投じた、いわば文学的教養や文壇での名誉欲を捨てることになるランボーからの、自意識に凝り固まってアカデミズムにしがみつく俗物イザンバールに向けた批判と読める。フランスだけでなく日本でも多くのランボー神話が(ときに大学教授の研究者によって)紡がれてきたのも、こうしたランボーの脱俗的な部分が、(ときに大学教授も含めた)インテリによる自己の俗物性を否定したいという欲望に応えてくれるものであったからであろう。
 しかしながら、ここがくせものなのだが、教養あるいは教養主義というのは、教養が意味を持ちえない「砂漠」においてこそもっとも勃興するのである。『グロテスクな教養』から引用すると、

 こうして戦争末期、若者たちが「人生二十年」説を信奉し、国家のための死を決意しなくてはならなくなったとき、教養はかつてないほどの人気を享受したのだった。(p.116)

 ということだ。
 つまり、(どうせ死んでしまうのだから)もう就職や出世や他者からの自己の卓越化のことなんて考えなくてもよい、という環境にあってこそ、教養主義的な読書はいかなる功利主義とも結びつくことない「無垢無償」という価値を獲得するのである。しかし、そうした無私無欲という姿勢が、自分を捨ててお国のために死ぬことを称揚するという日本浪漫派などの言説に乗せられてしまったことを忘れてはならない。
 そして、現在においてランボーの「砂漠」に比せられるのは、他ならないブログ、それも特に文筆を職業としない人間が人文的な文章を書きつづっているそれではないかと思うのである。そこに綴られる文章は無垢……かどうかはともかくとして無償であり*2、いかなる現実的な利益にも結びつかない*3
 ただし、ブログはランボーがいた砂漠とは違い、少なくとも読者がいる(少なくとも、誰かに読まれる可能性に開かれている)。だからブログの書き手は、ネットの向こうにいる読者を意識して「俺って教養あるだろう」とひけらかせるという点で、かなり「いやったらしい」ものにもなりえる。そして、そうした自己満足に浸って、ジジェクの用語を借りれば「現実の砂漠」から目をそらことにもつながりかねない。死を甘受して「無垢無償」な教養に浸った戦時中の学生がなすすべなく戦争の機構に組みこまれてしまったように、ブログで一銭にもならない文章を書き散らすことが好ましくない現実(個人的にも、社会的にも)を忘れるための代償行為にならないとも限らないのではないか。ああもうブログなんかとっととたたんでしまいたくなってきた。
 自分で書いていてすごく「いやーな気持ち」になってきたのだが、しかし著者の高田氏があとがきに記しているように、「『いやーな気持ち』のあとには小さな希望が湧いてくる」とも考えられるのではないか。すなわち、教養や教養主義がどうしたって「いやったらしい」ものであることから逃れられないのだとすれば、その「いやったらしさ」をあえて背負う覚悟をすることこそが、教養や読書が単なる立身出世や卓越化の道具でもなく、あるいはそれと裏腹な超俗的な純粋主義でもない形で、どのようによりよい現実的な回路を持ちうるかということを考えるよすがになるのではないかと思うのだ。というか、そうとでも思わないとやってられない。
 というわけで、私は読書をやめはしないだろうし、(当分の間は)ブログを閉鎖することもないだろう。書を捨てなかった寺山修司と、砂漠でも詩作を捨てなかったランボーに倣って、というわけでもないけれども。

*1:原文:http://www.mag4.net/Rimbaud/Documents1.html 邦訳:http://rimbaud.kuniomonji.com/lettres/voyant.html#top

*2:アフィリエイト」とか「はてなポイント」とかいった私欲にまみれたものもあるそうだが、あたしゃあとんと知りゃあしやせん。

*3:ブログをそのまま出版して作家デビューとかいうサクセスストーリーもあるようだが、ほとんどのブロガーには無縁の話だろう。