ナショナリズム逍遙

 フランスでは、かつてナショナリズムは左翼のシンボルであった。それが、十九世紀末から二十世紀初めにかけて右翼のシンボルと化した。フランス・ナショナリズムは、ジャコバン的共和主義を原動力とする左翼の思想から、反議会制民主主義を志向する右翼のイデオロギーとなったのである。ちょうどそれは、ジャンヌ・ダルクの表象がこの時期に右翼勢力によって領有されていった事実と符合している。ジャンヌが教会によって聖女として列聖されるのは、十九世紀末のことであった。ドレフュス事件がフランスを揺るがした十九世紀末に、愛国者同盟は、ナショナリズムを左翼から引き剥がして右翼に定着させた。それとともに、ナショナリズムに人種主義が混入していくことになる。(中略)


 前期第三共和政の歴史において、普仏戦争の衝撃はもっと強調されてよいだろう。エルネスト・ルナンが『フランスの知的道徳的改革』(一八七一年)を執筆し、「国民とは何か」(一八八二年)という講演をしたのも、敗戦とアルザス・ロレーヌのドイツへの割譲という現実があったからである。一八七〇年以前のデルレードは、歴史家ミシュレに国の予言者をみ、社会主義者のルイ・ブランに社会をなおす医者をみるという共和主義者であったが、それ以後の彼は、フランス革命の遺産である普遍主義の思想が「軍人精神」を死滅させて国家の危機を招いた元凶であると考え、「外国人によるフランスの搾取」でしかない国際主義の思想からフランスを守ることを訴え、右翼急進主義の代表となっていく。

(「対独復讐と人民投票的ナショナリズム」、福井憲彦編『結社の世界史3 アソシアシオンで読み解くフランス史山川出版社 p.204,205)

 ルイ十四世は「朕は国家なり(L'Etat, c'est moi.)」と言ったとされるけれども、ことほど左様に、かつて nation は Etat(体制、制度、ていうか国王)とその周囲のものでしかなかった。それを peuple*1 の手に簒奪しようとしたのがフランス革命にほかならず、その主力は議会の左側に席を占めた人々であった。ただし、peuple の範囲をどの程度まで想定するか(労働者は含まれるのか? 女性は? 子供は? 植民地の現地住民は? etc)は各派閥や個人によって開きがあったけれども。
 ナショナリズムが十九世紀末から二十世紀初めにかけて左翼よりも右翼のシンボルという意味あいが強くなったのだとすれば、それは左翼の持つ「フランス革命の遺産である普遍主義の思想」も与って力あったのだろうけど、左翼の一部急進派が反議会主義的な傾向を右翼と共有しつつも、共産党系であれ社会党系であれその他の党派であれ、多かれ少なかれインターナショナリズムを教義の根底に抱いていたからでもあるのだろう。とはいえ、インターナショナリズムアナーキズムなどと違って、あくまで個々の Nation を単位とした結びつきであるがゆえに、第一次大戦においてドイツでもフランスでもほとんどの社会主義者が敵対国の労働者や兵士との連帯よりも自国の挙国一致に進んで協力するといった事態も起こりえたのではあったが、基本的に反ユダヤ主義と排外主義を容認するものではなかった。
 右翼が国王を助けてイギリスを撃退した「救国の聖女」ジャンヌ・ダルクを領有したというのはこの上なく象徴的だ*2。それは日本で後醍醐天皇につき従った楠木正成が「大楠公」と称揚され、その反対に足利尊氏が貶められたことと似ている。そして、排外的なナショナリズムを奉ずる者の行く末をも暗示していたと思えてならない。というのも、ブルゴーニュ軍に捕らえられたジャンヌ・ダルクは、シャルル七世とその義母ヨランド・ダラゴンに見捨てられて火刑台の煙と消えたのだから。
 フランスが、往々にして個人崇拝や体制への権力集中を伴う愛国的ナショナリズムと排外主義の辿る惨めな末路を回避できたのには、ひとつには、ドイツのヒトラーや日本の天皇のような Etat を一身に体現する強力な指導者・機能が存在しなかったからであろう。引用文にあるポール・デルレードや、アクシオン・フランセーズのシャルル・モーラスやモーリス・バレス、それにブーランジェ将軍や火の十字架団のラ・ロック中佐などはそのような器ではなかったし、またその意志もなかった。もっともそれとて、ドイツほど経済危機が深刻であり、周囲を敵に囲まれているという感覚が強かったならどうなっていたかわかったものではない。たとえば、第二次大戦の勝敗と戦後復興の進捗が異なっていたら、ド・ゴールがそのような役割を果たしていたかもしれないのだ。
 いずれにせよ、ナショナリズムが左右両翼にとってともに運動を推進させる発動機となりえるうえに、そのとき Nation が peuple のものである保証は必ずしもないということを肝に銘じなければならないだろう。

アソシアシオンで読み解くフランス史 (結社の世界史)

アソシアシオンで読み解くフランス史 (結社の世界史)

 ……あと、この本についてなんですけど、幅広い分野の結社を紹介している反面、ものによってはいまいち個々の情報量が少ないかなあという感じです。ま、入門書ということで、とっかかりとしてはよく纏まっているのではないでしょうか。

*1:英:people

*2:ただし、ジャンヌ・ダルクナショナリストと見なすのは後世のもので、彼女はなによりもまず神の意志に従っていた。