プルートウ――冥府よりの破壊者あるいは福音の使徒?

PLUTO (3) (ビッグコミック)

PLUTO (3) (ビッグコミック)

 この漫画の原作(というか原案というべきか)は手塚治虫鉄腕アトム「地上最大のロボットの巻」。プルートウという謎のロボットが最強をめざして世界各地の強力なロボットを破壊していくという内容だ。
 しかし、原作ではあまり出番のなかったロボット刑事ゲジヒトが全編を通して活躍していることに加え、ロボットの社会進出による人間との軋轢という、少年漫画という制約のあった『鉄腕アトム』では深く描ききれなかった題材を扱っている点でも、アイザック・アシモフのSFロボットミステリ『鋼鉄都市』の影響が強いような気がする。
 そう思って『鋼鉄都市*1』の頁をぱらぱらとめくってみると、初読時とはだいぶ違った印象を受けた。こういう小説の読み方はあまりよくないのだろうけれども、どうしても活字の向こう側にある社会が透けて見える気がしてならない。

「保証書はよかったわね!」女はキンキン響く声で叫ぶと、ほかのものをふりかえって笑った。
「あなたがた、聞いた? この男は、あいつらのことをうちの者、店の者っていってるわ! ねえあんた、いったいなんのつもりなのよ、え? あいつらは人間じゃないのよ。ローポットじゃないの!」女は、故意に、その言葉をいやらしくひきのばして発音した。「それに、万が一あんたが知らないといけないから、教えてあげましょうか、え、こいつらがどんなことをしたかを。こいつらは、人間から職場を盗んだのよ。だから、政府が、いつもこいつらをかばうのよ。こいつらは機械だから、無償で働くわ。そのおかげで、家族をかかえた人間様が、バラックに住んで、なまのイースト粥をすすらなけりやならないんだわ。働き者の、いい家の人間様がよ。こんなローポットどもなんか、みんなたたき壊してやるわ、もしわたしが大臣だったら――ほんとよ、あんた、わたしやるわよ!」
(ハヤカワ文庫版 p.47)

 これなんか、どうしても隠喩的に読みたくなってしまうな。
 UFO現象の一部が特にアメリカにおいて共産主義やその他未知のものに対する恐怖感や不安感に支えられていたように*2、ロボットもまた未知の存在・異質な存在の象徴という側面を持っていたのだ。
 ちょうど今、アメリカでは不法移民規制の問題をめぐってひと騒動起きているけれども、この問題は移民国家であるアメリカにとって切っても切れない問題なのだろう。
 安価でいくらでもこき使える単純労働者を国内に欲している産業分野にしてみれば、社会保障費もかからない不法移民は本音を言えば大歓迎なわけだが、実際に彼らが生活圏に侵入してくる人々にとってはそうではない。無償とはいわないまでも極度の低賃金で働く彼らに自分の職を奪われるかもしれず、彼らのせいで治安が悪化するかもしれない。そこで法に則っていないという理由で彼らの流入を阻止しようとするわけだが、その究極的な根拠は法ではありえない。なぜなら、もとを辿ればアメリカ人のほとんどは移民であり、それも先住民であるネイティヴアメリカンの土地を奪って住みついたのだから。一般に法はどれも多かれ少なかれ暴力的なものであるといえるが*3、殊にアメリカの場合は移民の不法性を問うならば、自らの起源に遡行してその暴力性と正当性の如何を問うことにもなりかねない。歴史が浅いだけあって、ピルグリム・ファーザーズを初めとする始祖たちの足跡は、神武天皇の東征伝などと違い、神話として祭り上げるにはいささか生々しすぎるほど明瞭に残されている。
 そこで、表面的には法を振りかざしているとしても、不法移民排斥の根源的な大義名分は「あいつらは人間じゃないのよ」、言い換えれば‘私たちとは違うのよ’という、法よりも単純素朴な二分法的感情に準拠することにならざるをえない。そうするとかえって、国民であるか否かで人を分ける国家の持つ暴力性が浮かび上がってしまうのだが。そうして境界線を引き、分割した内側にできた国家は単一にして不可分なものとして措定されるのだよな。
 ところでロラン・バルトによれば、「〈空飛ぶ円盤〉の謎は、最初はまったく地上に属するものだった」。それというのも、「円盤は、知られざるソ連から飛んでくると思われていたから」である。そして「ソ連というのは、別の惑星のごとく、明白な意図が分からないあの世界のことなのである。しかもこの神話の形態は、その惑星的な展開を萌芽の状態ですでに含んでいた。ソ連の兵器である円盤が、こんなにもあっさりと火星の兵器に変わったのは、実のところ西洋の神話が、一つの惑星という他性そのものを共産圏に帰しているからである。ソ連は地球と火星の中間に位置する世界なのである」。
 そしてバルトは次のように続ける。

 さらに意味深長なのは、火星が地球のそれをそっくり敷き写した歴史的決定論を、暗黙のうちに授けられていることである。誰かは知らないがアメリカの学者が声高に言ったように、そしておそらく多くの人がひそかに思っているように、円盤は地球の地勢を観察に来た火星人の地理学者の乗り物であるというのは、火星の歴史がわれわれの世界と同じリズムで成熟し、われわれが地理学や航空写真を発見したのと同じ世紀に地理学者を産み出したからである。唯一火星のほうが進んでいる点は、その乗り物自体であって、火星は理想化のあらゆる夢想におけると同じく、そうした完璧な翼を授けられた夢の地球にすぎない。多分、われわれ自身が、もしもこのように構築した火星に上陸する番になったら、地球そのものしか見出さないだろうし、同じ一つの歴史から生まれたこれら二つの産物のあいだで、どちらがわれわれのものか見分けがつかないだろう。火星がその地理学の知に到達するためには、火星もまたそのストラボン、そのミシュレ、そのヴィダル・ド・ラ・ブラーシュを持っていたはずであり、次から次にわれわれと同じ国民、同じ戦争、同じ学者、同じ人間たちがいるはずなのだ。
 こうした論理でゆけば、火星は地球と同じ宗教を持っておらねばならず、もちろん、われわれフランス人に言わせれば、奇妙にもそれはわれわれの宗教だということになる。『リヨンの進歩』紙は、火星人たちは必然のなりゆきとしてキリストのような人物を持っていたと述べている。ゆえに火星人たちには教皇もいる(さらには、東西教会の分離の端緒も開かれているわけだ)。さもなかったら、彼らは惑星間を航行する円盤を発明するほど文明化できたはずがなかろう。この新聞にとっては、宗教と技術的進歩は、文明の貴重な財産という同じ資格を有しており、片方なしには他方もないのである。同紙は次のように記している。自分たちの手段によって地球に到着できるような文明の段階に達している生物たちが、異教徒であるとは考えがたい。彼らは、神の存在を認め、独自の宗教を持った、有神論者であるに違いない

(強調部は原文傍点。バルトの引用は全て『現代社会の神話*4』下澤和義訳、みすず書房所収の「火星人」より))

 円盤を巡ってこうした奇妙な言説が紡がれる理由を、バルトは「こういった精神不安は、〈同一者〉の神話」であり、「〈他者〉を想像することが不可能であるというのは、プチ・ブルジョワジーのどんな神話にもある定数的な特徴の一つだからだ。他者性というのは、「良識」にとって最も不愉快なものである」と説明している(プチ・ブルジョワジーという語彙がなんとも時代を感じさせますな)。
 ロボットに話を戻すと、それはチェコの作家カレル・チャペックによって創造され、ユダヤ系ロシア人移民のアイザック・アシモフロボット工学三原則を樹立したのであり、二人はともにソ連の勢力圏にある国・地方の出身であるということを想起してよい。ロボットに与えられた、人間に危害を加えてはならず人間に服従しなければならないという規格は、〈他者〉であってはならない、〈同一者〉となるべく務めなければならないアメリカで生きる作家自身にとっての処世術でもあったのではないか。
 ここで映画『ブレードランナー』で、人間に叛逆したレプリカント*5を退治した主人公に投げかけられた「You've done a man's job!」という言葉を思い出してもいいかもしれない。これは「男の仕事を成し遂げましたね」だけではなく、「人間の仕事を成し遂げましたね」という意味ともとれる。そして、ラストシーンで主人公もまたレプリカントではないかと暗示されてこの映画は幕を閉じる。原作者のフィリップ・K・ディックも同一性と差異の問題に取り憑かれた作家であった。
 現代社会のロボット、つまり不法移民――無償に近い低賃金で機械のように働き、壊れても代わりがいくらでもいる――は同一性の神話からどうしてもはみ出してしまう。彼らはそもそも国籍が違うのだし、そしてまた場合によっては肌の色が違うのだし、信じる宗教が違うのだし、話す言語が違うのだし、生まれ育った文化の質も程度も違うのだし、その他色々とにかく自分たちとは違うのだ。自分たちと同じになるか、外的・内的な事情で同じになれないのであれば排除するしかない。
 こうした同一性の神話を打ちこわすにはどうすればいいか。試みに、冨山太佳夫が「弱い思想家」と呼ぶソ連バフチンの言葉に耳を傾けてみる。

人間とはけっして自分自身と一致しない存在である。人間には《A=A》という同一律の公式を応用するわけにはゆかない。ドストエフスキーの芸術思想によれば、人格としての個人が本当に生きる場所は、あたかも人間が自分自身と一致しないこの一点なのである。つまり何の相談も受けず、《本人不在のまま》盗み見られ、決めつけられ、予言されてしまうような事物的存在の枠を、彼が抜け出そうとするその点なのである。人格の真の生を捉えようとするなら、ただそれに対して対話的に浸透するしか道はない。そのとき、真の生はこちらに応え、自らすすんで自由に自己を開いてみせるのである。(pp.122-123)

 カーニバルにおいては、半ば現実、半ば演技として経験される経験的・感覚的形式の中で、外部の世界では万能の社会的ヒエラルヒーと真っ向から対立する、人間の相関関係の新しい様態が作り出される。人間の振舞い、身振り、言葉は、外部世界でそれらをまるごと規定していたあらゆるヒエラルヒー的与件(階層、地位、年齢、財産)の支配下を脱し、それゆえに通常の外部世界の論理に照らすと、常軌を逸した場違いなものとなる。常軌の逸脱こそカーニバル的世界感覚に特有なカテゴリーであり、それは無遠慮な接触というカテゴリーと有機的に結びついている。それは人間性の奥に秘められた側面が、具体的・感覚的な形式によって開示され、表現されることを可能にするのである。(p.249)

ミハイル・バフチンドストエフスキー詩学*6』望月哲男・鈴木淳一訳、ちくま学芸文庫

 つねに不純さを強いられた状能――デリダの言う、過去と未来の痕跡をつねに含んでいる現在。バフチンの営為のすべては、この力ある他者、自らの存在の必然性としてのこの不純さとの付き合い方をいかにして発明するかにあったと言えるだろう。しかも彼は、断じて力ある者の立場に身を置いてそれに取り組もうとはしない。彼のインターテクスト論は、織物のイメージで捉えられたテクストからは出発しないで、弱い者の使う発話と言語から、他者の発話と言説に浸透されたそれから出発する。彼のダイアローグ論の要点は、それがつねに他者の発話や言説、コンテクストと向き合っているということである。それは総合や和解に辿りつくための手段ではない。
 バフチンはダイアローグの概念によって、他者を自らの内に――例えばシミュラークル化によって――接収することも、逆に他者の内に接収されることも拒否しているのだ。ダイアローグは、このときひとつの抵抗の論理となる。バフチン的な主体はつねにダイアローグを強制されながら、その強制の装置そのものを利用して、つまり他者の武器を利用して、生き延びるのである。他者と自己はダイアローグによって関係を結びつつ、それによって根源的に断絶しているのだ。ヘテログロッサリア、ポリフォニー、そしてダイアローグ。自らの著作を他の人々に仮託しつづけた彼は、また自らの洞察を異なる概念に仮託しつづけた思想家でもある。
 バタイユを想起してみよう。個体の孤立性を解消して生の連続性に立ち戻るのをエロティシズムの理念とし、タブーによって差異化の枠組みのなかに身を置く共同体を、祭りや犠牲の場における侵犯行為を通して生の連続性に連れ戻すことを理念としたバタイユには、聖なる暴力という錦の御旗がある。彼の描くカーニヴァルは力をもつ者が、あるいは力が、差異を解消しようとする場である。それに対してバフチンの思い描くカーニヴァルは、暴力的な突破と差異の解消を目指すものではなく、異なる文化の顕在的な出会いと混淆の場として構想されている。出会いは侵犯にいたるのではなく、混在にいたるのだ。それでは、その混在はいかなる意味をもつのか。バフチンは答えなかった。答えないことによって、弱い思想家にとどまり続けた。文化の活性化のために? 誰がそんなこと信じるものか。
(「弱い思想家」冨山太佳夫ダーウィンの世紀末*7青土社、p.334-335)

 しかし、流入される側だけでなくまた流入する側にとっても、異質な他者との出会いを「侵犯」ではなく「混淆」と捉えることができるか。その上でそれがどのような意味をもつのか、どのような利益をもたらすのか知らずに、同一性の解体と混淆に耐えることができるか。『鋼鉄都市』のロボット刑事R.ダニールは「できる」と言う。

 R.ダニールはふと考えこんで、そしていった。「人間とロボットとの区別は、知性の有無の区別ほど意味のあるものではありません」
「おまえの世界ではな」とベイリが応じた。「だが地球ではそうじゃない」
(p.58)

 しかし人間の刑事ベイリの世界ではロボットの影響を蒙った失業者を宇宙移民として送り出すことができるのだが、われわれの世界ではそうはいかない。脱出することのできる外部は空間的にもシステム的にも今のところ存在しない。混淆はすなわちこの世界自体の変容を意味する。多大な困難を抱えつつもそれを志向することができるか。
 そしてまた、浦沢直樹は暴力と人間とロボットを、読む者に示唆を与えるような形で描ききることができるか。プルートウはいまだ全貌を露わにしていない。続刊が待たれる。

*1:ISBN:4150103364

*2:稲生平太郎何かが空を飛んでいる』など。

*3:ベンヤミン的にいえば法措定暴力と法維持暴力

*4:ISBN:462208113X

*5:人間に酷似したロボットのようなもの。

*6:ISBN:4480081909

*7:ISBN:4791753542