ウィリアム・ワイザー『祝祭と狂乱の日々1920年代パリ』、ついでに書店の話

祝祭と狂乱の日々―1920年代パリ

祝祭と狂乱の日々―1920年代パリ

 
 一九二〇年代パリ――両次大戦の端境期に狂い咲きした絢爛豪華な花々を活写した一冊。
 二〇年代のパリは外国人、それもとりわけイギリス・アメリカ人に占領されたかの観があった。
 ジェイムズ・ジョイスバーナード・ショーエズラ・パウンドヘミングウェイドス・パソスといった文人たち。ピカソ、ブラックなどの画家たち。そのほかにもロシア人興行師ディアギレフ、ジャズ、リンドバーグ、黒人ダンサーのジョセフィン・ベーカー……等々。本書とフレデリック・ルイス・アレンの『オンリー・イエスタデイ』を併読すると、二十年代の欧米における狂騒が眼前に浮かび上がってくる。
 しかし、それもいかに文化的には豊饒であろうと、所詮はヴェルサイユ体制下の危機的な政治経済の土壌に咲いた徒花にすぎず、じょじょにだが世相は確実に暗い相貌を帯びてゆき、やがてニューヨーク・ウォール街の株価大暴落に端を発する大恐慌が世界中を覆い尽くす。恐慌のあおりを受けて英米人がほとんど姿を消してしまった後の閑散としたパリに、精神を病んだ妻ゼルダを連れて訪れるスコット・フィッツジェラルドの姿がじつに象徴的だ。ついでに言えば、このころ金子光晴が森三千代と共にパリでどん底生活を送っているのだけど、そこまではさすがにこの本に望むわけにはいきません。
 というような本なのだけれど、ここに引用するのはこの中でもあまり目立たないだろうと思われるエピソード。

 ジャズ・プレイヤーたちの活躍の場は狭まり、歓迎の度合も一九二五年ほどではなかった。ナイトクラブの興行系統が黒人音楽家たちに独占されるようになったので、フランス人は、どんなバンドでもメンバーの半分はフランス国籍の音楽家にすることという対抗措置を押しつけた。しかしジャズはアメリカの特産だったし、フランスがジャンゴ・レーナルトやステファーヌ・グラペリ*1といったジャズ音楽家を産み出すには三〇年代まで待たなければならなかったので、フランス人のジャズメンを見つけるのはもともと不可能だった。新たに設けられた規則に対処するひとつの方法は、フランス人の演奏者を傭い、演奏中ただ座らせていることだった。彼らが演奏することはなく、楽器は小道具同然、楽音を発することはまったくないのだった。楽団を二つ傭う余裕のあるクラブは、フランス人グループとアメリカ人グループに分け、交互に演奏させた。

 うーん、想像してみるとなんとも滑稽な光景ですね。アメリカ産ジャズに対してフランスがセーフガードを発動した、というところでしょうか。あるいは近年取りざたされているワークシェアリングか?*2
 まあ今だってフランスは、テレビのプログラムを規定の割合以上は国産番組に充てなければならないとか、舞台がフランスでキャストもスタッフもオールフランスであっても資本が外国の映画には補助金も出さないしフランス映画とは認めないとか、日本と違ってなるべく外来語(というか主に英語)を無理にでもフランス語で代替するというお国柄なんですけど*3、これはさすがにブラックジョークの域に達していますな。
 

シェイクスピア&カンパニー書店


 本作中に度々登場しますが、これは一九二一年にパリに開店した英書専門店です。シルヴィア・ビーチという名物女店主が切り盛りして、英米からの留学生や文学者が集まる一種のサロンのような役割を果たしていました。現在パリにある同名の書店はこの元のものではなく、詩人ウォルト・ホイットマンの孫を自称するジョージ・ホイットマンという怪しげな人物がシルヴィアの死後、勝手に二代目を名乗ったものらしい。
 とはいえこの書店は初代S&Cに勝るとも劣らない盛況ぶりを示したそうです。また壁に書かれている文句が素晴らしい。

 BE NOT INHOSPITABLE TO STRANGERS
 LEST THEY BE ANGELS IN DISGUISE
(異邦人に冷たくしてはならない、彼らが変装した天使だといけないから)
 雑誌『ふらんす白水社、二〇〇五年六月号、p59 岩津航「パリ・マイナス・ゼロ」より

 なんとも粋な書店じゃありませんか*4。日本の書店も、ひたすら床面積を広げるのはけっこうですが、「オンライン書店は便利だけど、あの本屋の雰囲気を肌で感じたいなあ」と思わせてくれるような独自のスタイルを持った店作りをしてほしいものです。どうしたって利便性や効率性、それに取り扱い商品数では原理的に無限の在庫を抱えられる*5オンライン書店に敵うわけがないのですから。

*1:普通、日本ではそれぞれ「ジャンゴ・ラインハルト」「ステファン・グラッペリ」と表記される(引用者注)

*2:といっても全然シェアしてませんが。

*3:余談ですがフランス人唯一のF1世界王者アラン・プロストは、引退後リジェを買収してプロストチームを創設。エンジンを日本の無限ホンダからプジョーに替え、それからタイヤをブリヂストンからミシュランに替え、車体のカラーリングをフレンチブルーにし、ドライバーにジャン・アレジを招聘する、というようにオールフレンチにこだわったため……というわけではありませんが慢性的な予算不足と成績の低迷に苦しんだ末、契約の問題でアレジと仲違いし、チームも消滅という惨めな末路を辿りました。先日のフランスGPで表彰台のプレゼンターを務めていましたが、これをきっかけになんらかの形でF1界に復帰してくれないかな、なんだかんだいって名物男ですから。そういえば、リジェの元オーナー、ギ・リジェもイギリス人のウォーキンショウに売却話が持ち上がったとき頑強に抵抗して、しまいにはフランス政府が売却阻止のために介入したのでした。

*4:今どきだと、信仰の異なるかもしれない異邦人を自分のキリスト教文化で表象している、とか言われちゃうかもしれませんが……。

*5:そこから顧客のオーダーした商品を短時日でピックアップして配送するために、低賃金の過酷な労働が行われているわけですが……。