ボナパルトの叔父甥

 それにしても、つらつら考えるに、良きにつけ悪しきにつけナポレオンというと一世のことばかり取り沙汰され、その甥の三世が閑却されているというのはいささか理不尽ではないだろうか。そもそも一世の遺骸はパリの廃兵院に安置されているというのに、三世はフランスに帰ることすら許されていない。どちらもクーデターを起こして帝位につき、戦争で大敗北を喫して*1フランスを去ったという経緯は同じなのに。
 功罪取り混ぜて、フランスの発展*2に寄与したという点において三世の治世はそれほど一世のそれにひけをとらないはずだ*3。良い面ばかりではなかったにせよ、セーヌ県知事オスマンのパリ改造や鉄道網の整備などがなければフランスの近代化はなしえなかったかずっと遅れていただろうし、部分的かつある程度コントロールされたものとはいえ、三世の治世下で社会主義や労働運動が促進されたりもした。
 それがどうして低評価に甘んじているかというと、普仏戦争でのみじめな敗戦やマクシミリアン皇帝を通じたお粗末なメキシコ統治の失敗といった、業績を覆い隠してあまりある現実の失態よりも、マルクスの「ルイ・ボナパルトブリュメール十八日」とヴィクトル・ユゴーの「懲罰詩集」「小ナポレオン」のせいだろう。なにせ茶番劇だのルンペンプロレタリアートだのならず者だのと悪罵の限りをつくされている。共産主義の親玉とフランスの国民詩人から蛇蝎のように嫌われたのではたまらない。ペンは剣より強いということだろうか*4。まあ一世もスタール夫人に嫌われたりはしているが、前二者とは知名度が違う。
 とここでふと思いついたのだが、日本で西郷隆盛ばかりが持ち上げられて大久保利通の人気が低いのと似ていなくもないかも。いや、なにが似てるってナポレオン三世大久保利通ヒゲが。そうか、ヒゲのせいなのか?

*1:一世はワーテルロー、三世はスダン

*2:フランスに限らず、植民地支配という負の面においても。

*3:ただし、軍事面では叔父と違っていいところがなかったが。

*4:ただし、二人とも文筆家であると同時に政治家でもあるわけだが。