渡邉恒雄『わが人生記』刊行のお知らせ

 今朝の読売新聞の社会面の下のほうに、小さな記事ではあるが「渡辺恒雄本社主筆」の自伝刊行のニュースが掲載されているのを見て、いくら読売とはいえそりゃないだろと思った。せめて日曜の書評欄にでもさりげなく紛れ込ませればいいのに、こう堂々と紙面で宣伝するかね。
 と思ったらそれだけではなく、一番最後の総合面にでっかい広告が掲載されていて、「大反響! たちまち重版」というコピーが付されている。あの、一応今日(10日)発売って記事に書いてあるんですけど*1
 なんというか、大袈裟かもしれないがベンヤミンの次のような文章を思い起こしたりした。「一八二四年には、パリに四万七千の新聞購読者がいたが、一八三六年にはそれは七万となり、一八四六年には二十万となった。この上昇にあずかって力があったのは、ジラルダンの新聞『ラ・プレス』だった。この新聞は三つの重要な革新をやってのけた――予約料の四〇フランへの切り下げ、広告欄、新聞小説。同時に、短いきれぎれの情報が、腰のすわった報告にたいし、商業的な有用性を売りものにして競争をいどみはじめた。いわゆる「社告(レクラーム)」がはびこりだしたが、これは、前日あるいは同日(!)の号の広告欄に出ている書物の参照を指示する編集部の、一見しては自立的だがじつは出版社によって支払われている、注記のことである。サント・ブーヴは早くも一八三九年に、これの頽廃的な効果を告発した。「どうして……ちょっと下の欄で世紀の作品などと書かれている作品を」批評欄で「断罪することができたろう。広告欄のますます大きくなる活字の引力のほうが優勢で、羅針盤を狂わせる磁石の山の働きをした」。発展しはじめた「レクラーム」は、ついには、利害関係者によって支払われる新聞の市況メモとなる。インフォーメーションの歴史を、新聞の腐敗の歴史と切り離して書くことは難しい。」*2
 しかしこの露骨さにはあきれるのを通り越して笑ってしまった。魚住昭の『渡邉恒雄 メディアと権力』によれば、晩年の正力松太郎は社会部の記者に自分の提灯記事を書かせて悦に入っていたそうだが、ナベツネ氏の場合は加えて自伝が読売グループ傘下の中央公論新社から出ていることを考えあわせれば、これはもう紙面のみならず会社を私物化していると言われてもしかたがないのではなかろうか。こんなことはよくあることだとしても。
 そうはいっても、いろいろな意味で興味深い本ではあり、読んでみようとは思うのだが。

渡邉恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)

渡邉恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)

わが人生記―青春・政治・野球・大病 (中公新書ラクレ)

わが人生記―青春・政治・野球・大病 (中公新書ラクレ)

*1:発売前に予約が殺到して重版したのかもしれないが。

*2:ヴァルター・ベンヤミンボードレールにおける第二帝政期のパリ」川村二郎・野村修訳