フランソワ・ボンという人

 日本ではほとんど無名だが、フランソワ・ボンというフランスの作家がいる。
 優れた小説家であるのはもちろんだが、高校(lycée)生などを対象として文章を書くことを教えるという活動*1を行っていることでも知られる。
 彼の教室はいわゆる文章作法ではなく、ふだん文章を書き慣れていないような人びとが自分の思ったこと、内に抱えている感情などを自分自身の言葉で表すことをサポートするものだ。日本語では、この活動については堀江敏幸の『郊外へ』『子午線を求めて*2』で言及されている。堀江氏のエッセイにも重点的に取り上げられているが、この活動でボンは郊外の街へよく足を運び、社会や自分自身に不満を持つ若者たち*3から言葉を引き出している。鬱屈したエネルギーを暴力で発散するよりは、言葉によって昇華するほうがいくらかましではないか。表現された言葉がどのようなものであれ、そこからコミュニケーションの端緒が開かれうるかもしれない。ともあれこうした試みがもっと広まればいいのにと思う。
 今回の暴動についてボンのブログ*4に「クリシー・スー・ボワ 私たち自身*5」というエントリが更新されていて、そこに彼がクリシー・スー・ボワのアルフレッド・ノーベル校を訪れたときの思い出と、「軽蔑の代償」と題された長文のコメントが掲載されている*6。翻訳でもしてみようかと思ったが、けっこう長いので今日はやめておいた。読むだけならともかく、日本語の文章に移すとなるとボンの語り口はちと手強いので、私のなまくら語学力をもってしては寝る前の片手間にできるようなことではない。
 ところで、上に書いたようなことは今月の『ふらんす』誌の「新しいフランスの作家たち」という記事にも載っている*7。その月にボンも関係の深い郊外で暴動が起こるとはなんとも皮肉な偶然だ。
 この記事によれば、現時点で本邦未訳のボンの著作が来年にも翻訳出版されるらしい。しかしそれが小説や文章教室の記録ではなく、ローリングストーンズの伝記だというのにはすこし肩すかしをくらった。ボンの翻訳ならまずは小説からやるのが筋だと思うのだが……。
 そういえば、レーモン・ルーセルの著書がまだ一冊も翻訳されていないのに、彼を論じたフーコーの『ルーセル』が先に翻訳出版されたりとか、日本の翻訳事情はときどき妙なことがある。まあセールス上の問題なんだろう。フランソワ・ボンの小説、よりはフランソワ・ボンが書いたローリング・ストーンズの伝記、のほうが部数は出るだろうし。
 こうなれば、村上春樹が訳したために一躍日本でも有名になったレイモンド・カーヴァーの例にならって、作家の良さを知ってもらう方便として訳者の知名度に頼るという手段もあるのかもしれない。とはいっても仏文系でそれだけの知名度を持っている人がいるかというと、どうも思いあたらない。若手でいちばん活躍していて、翻訳でも創作でも優れた仕事をしている堀江敏幸ですら、村上春樹ほど純文学の枠を超えて広がりを持つまでのカリスマ性はない。
 しかし、そんなことは抜きにして、いちはやくボンの仕事を日本に紹介した堀江氏こそ彼の訳者としてふさわしいのではないかと思う。白水社あたりががんばってなんとかしてくれないだろうか。

*1:atelier d’écriture

*2:ISBN:4783715920

*3:移民とは限らない。

*4:http://www.tierslivre.net/

*5:Clichy-sous-Bois nous-memes

*6:Francois Bon"la rancon du mepris" pour le Neue Zuricher Zeitung, le dimanche 5 novembre

*7:ただし、郊外については直接触れられていない。