石原都知事失言事件@フランス語PART2
全ての人民のみなさんこんばんは。反自由党中央委員会です。この事件についての反自由党の公式見解を発表します。
1. 帝国主義的言語であるフランス語が「被害者ヅラ」をするのは、なんかおかしいと思う。
2. 「数を勘定でき」ないという中傷に対して、「フランス語は数を数えられ」ると反論すると、「数を数えられるかどうか」ということを評価基準として受け入れることになってしまう。しかし「言語は数を数えられて当然」という一見ニュートラルな発想にこそ都知事の自民族中心主義がある。反差別主義者の正しいリアクションは、こうでなくてはならない:「数は数えられない。悪いか?」。
なるほど、卓見。
井上ひさしのエッセイか小説で読んだのですが*1、あるアボリジニーの部族は百だか千以上の数を持っていないのだそうです*2。なぜならそんなに大きな数を数える必要がないから。伝統的な彼らの暮らしでは、そんなに多くの人もモノも身の回りになかったからです。それは彼らの生活によりそったあり方であって、このことによって彼らの言語が他の言語に比べて劣っているとか不完全だということにはもちろんなりません。というか比べることがそもそも間違っています。
だからフランス語関係者のみなさんも「数が数えらんなくて悪いのかよ」と言っておけばいいわけですね*3。