書を捨てよ、砂漠を出よう。

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

 世の中には読むと「いやーな気持ち」になる本がけっこうあって、たとえば「非モテ」にとっては ミシェル・ウエルベックの小説だったりするのだが(ちなみに、わたしは「いやーな気持ち」を通り越して絶望的な気分になった)、学生時代によくわかりもしないくせに小難しい思想書や文学書を読みあさったりした覚えのある人にとって、これはそうとうに「いやーな気持ち」になる本だろう(ちなみに、私はなった)。
 この本は、少なくとも明治以降の日本における「教養」とか「教養主義」というものが、徹底してエリート主義的かつ立身出世主義的でありながらその反面ナルシスティックな純粋無垢さに憧れたりもする「いやったらしい」ものであることを、これでもかこれでもかと実例を挙げて見せつけてくれる。読み終わって、もう教養なんかまっぴらご免だ今後いっさい本なんか読むものかとつい取り乱してしまいそうになるぐらいである。
 で、話は飛ぶが、これを読んで思ったのは、文学史上名高いランボーのいわゆる「見者の手紙」は、教養主義的な文脈に引きつけて読むとけっこう「いやったらしい」ものとして受け取れる(ランボーが「いやったらしい」のではなく、受け取る側が)のではないかということだ。ここでいう見者の手紙とは、ポール・ドムニー宛のそれではなく、1871年5月31日付の、旧師であるジョルジュ・イザンバール宛の書簡*1である。
 高田里惠子は、教養を「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ、いかに生きるべきかを考え、いかに生きるかを決めるのは自分自身だ、という認識である」(p.017)と定義している。そこでランボーの書簡に戻ると、彼はイザンバールに向かって「教職にお戻りになられたのですね。人は社会に尽くす義務がある、あなたは私にそうおっしゃいました。(Vous revoilà professeur. On se doit à la Société, m'avez-vous dit )」と述べたあと、「私も社会に尽くす義務がある、それはもっともです――そして私には道理がある――あなたのおっしゃることも正しい、今日においては。結局、あなたはご自分の原則として主観的/主体的な詩しか見出されない――大学の教壇を取り戻さんとする執着も――失礼!(Je me dois à la Société, c'est juste, - et j'ai raison. - Vous aussi, vous avez raison, pour aujourd'hui. Au fond, vous ne voyez en votre principe que poésie subjective : votre obstination à regagner le râtelier universitaire, - pardon ! )」と揶揄する。
 ここで、「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ」という先ほどの定義を念頭に置いて、ランボーがイザンバールの詩の主体性/主観性と、大学の教職に未練を残す立身出世主義を併置していることに注目したい。そしてランボーがそのようなイザンバールの主観的で「おそろしく退屈な」詩に何を対置しているかというと、かの有名な「私とは他者である(Je est un autre)」「われ考える、ではなく、われ考えられる、と言うべきなのです。(Je pense : on devrait dire : On me pense)」という客観性/客体性の詩学である。
 これは文学的・言語論的には非常な重要性を持っているのだが、そういうことは脇に置いて、近代の立身出世主義と背中合わせの教養主義的な文脈で眺めれば、後に詩を抛棄して砂漠の商人へと身を投じた、いわば文学的教養や文壇での名誉欲を捨てることになるランボーからの、自意識に凝り固まってアカデミズムにしがみつく俗物イザンバールに向けた批判と読める。フランスだけでなく日本でも多くのランボー神話が(ときに大学教授の研究者によって)紡がれてきたのも、こうしたランボーの脱俗的な部分が、(ときに大学教授も含めた)インテリによる自己の俗物性を否定したいという欲望に応えてくれるものであったからであろう。
 しかしながら、ここがくせものなのだが、教養あるいは教養主義というのは、教養が意味を持ちえない「砂漠」においてこそもっとも勃興するのである。『グロテスクな教養』から引用すると、

 こうして戦争末期、若者たちが「人生二十年」説を信奉し、国家のための死を決意しなくてはならなくなったとき、教養はかつてないほどの人気を享受したのだった。(p.116)

 ということだ。
 つまり、(どうせ死んでしまうのだから)もう就職や出世や他者からの自己の卓越化のことなんて考えなくてもよい、という環境にあってこそ、教養主義的な読書はいかなる功利主義とも結びつくことない「無垢無償」という価値を獲得するのである。しかし、そうした無私無欲という姿勢が、自分を捨ててお国のために死ぬことを称揚するという日本浪漫派などの言説に乗せられてしまったことを忘れてはならない。
 そして、現在においてランボーの「砂漠」に比せられるのは、他ならないブログ、それも特に文筆を職業としない人間が人文的な文章を書きつづっているそれではないかと思うのである。そこに綴られる文章は無垢……かどうかはともかくとして無償であり*2、いかなる現実的な利益にも結びつかない*3
 ただし、ブログはランボーがいた砂漠とは違い、少なくとも読者がいる(少なくとも、誰かに読まれる可能性に開かれている)。だからブログの書き手は、ネットの向こうにいる読者を意識して「俺って教養あるだろう」とひけらかせるという点で、かなり「いやったらしい」ものにもなりえる。そして、そうした自己満足に浸って、ジジェクの用語を借りれば「現実の砂漠」から目をそらことにもつながりかねない。死を甘受して「無垢無償」な教養に浸った戦時中の学生がなすすべなく戦争の機構に組みこまれてしまったように、ブログで一銭にもならない文章を書き散らすことが好ましくない現実(個人的にも、社会的にも)を忘れるための代償行為にならないとも限らないのではないか。ああもうブログなんかとっととたたんでしまいたくなってきた。
 自分で書いていてすごく「いやーな気持ち」になってきたのだが、しかし著者の高田氏があとがきに記しているように、「『いやーな気持ち』のあとには小さな希望が湧いてくる」とも考えられるのではないか。すなわち、教養や教養主義がどうしたって「いやったらしい」ものであることから逃れられないのだとすれば、その「いやったらしさ」をあえて背負う覚悟をすることこそが、教養や読書が単なる立身出世や卓越化の道具でもなく、あるいはそれと裏腹な超俗的な純粋主義でもない形で、どのようによりよい現実的な回路を持ちうるかということを考えるよすがになるのではないかと思うのだ。というか、そうとでも思わないとやってられない。
 というわけで、私は読書をやめはしないだろうし、(当分の間は)ブログを閉鎖することもないだろう。書を捨てなかった寺山修司と、砂漠でも詩作を捨てなかったランボーに倣って、というわけでもないけれども。

*1:原文:http://www.mag4.net/Rimbaud/Documents1.html 邦訳:http://rimbaud.kuniomonji.com/lettres/voyant.html#top

*2:アフィリエイト」とか「はてなポイント」とかいった私欲にまみれたものもあるそうだが、あたしゃあとんと知りゃあしやせん。

*3:ブログをそのまま出版して作家デビューとかいうサクセスストーリーもあるようだが、ほとんどのブロガーには無縁の話だろう。