当世大学事情或いは教員奮闘記

学生と読む『三四郎』 (新潮選書)

学生と読む『三四郎』 (新潮選書)

 これって、ちゃんと『三四郎』の分析がなされているとはいえ、小説・文学の関連書籍というよりは、いかに学生を実社会とはいっけん無縁な学問の場で鍛えあげ、一人前の社会人として送り出すかという教育論の本、あるいは大学教員向けの学生指導用参考本ではないのかな。教育者でもなんでもない私は読んで肩すかしを食ったが、そういう用途としては非常に実践的で、文学以外の専攻でも応用可能だと思う。原稿用紙の使い方もろくに知らず、感想文すら書けなかった学生たちを、技術的にも内面的にもいっぱしの論文が書けるまでに指導する「鬼教授」石原氏の手並みはみごとと言うしかない。
 ひきこもりに対する一面的な見解*1など、一部に気になる社会論・教育論的な記述が見られるのだが、それは文系の大学教授として、今の社会状況で自分の教え子はなんとかまともに就職させたいという、現場での切羽詰まった熱意のなせるわざなのだろう。ふと思ったのだが、その若者論や教育論がいろいろと取り沙汰される内田樹氏も似たような事情なのかもしれない。だからといって誤謬や偏見があっても容認していいというわけではないが。
 批評理論をテクスト分析を通して実践的に知りたいだけなら、廣野由美子『批評理論入門『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書)のほうがいいと思う。そのかわり、こちらには「成長」という物語はないが。

*1:”いまは、「就職したら、女性は伸びない」などという声さえもう小さくなってきた。有能な女性はどんどん社会に出るだろう。その時、有能でない男性、あるいは自分が有能でないと感じる男性は、男性であるという理由だけでそれまで得ていた仕事や地位を失うことになるだろう。では、行き場所を失った彼らはどうすればいいのか。たとえば「ひきこもり」という形で、それが「社会問題化」する傾向は十分現れてきているようだ。"p.248