ドス・パソス『マンハッタン乗換駅』(1925)

 いわゆる都市小説というものが、いつごろに起源を持つものなのかはよくわからない。ことによれば、ペトロニウスの『サテュリコン』まで遡ることさえできるのかもしれないが、そこまでいくと、少なくともわれわれが生きる近代以降の都市を描いたものではないことは確かだ。では近代以降の都市小説はどうなっているのかと一口に言っても、十九世紀と二十世紀では明らかに異なる内実を持つ。
 例えば、バルザックはパリという十九世紀の「世界の首都*1」を舞台にしていくつもの小説を書いたが、そこにはドス・パソスが二十世紀における事実上の「世界の首都」であるニューヨーク*2を舞台にした『マンハッタン乗換駅』と同じように、うんざりするほどの悪徳や虚飾や陰謀や貧困や差別*3や孤独が充ち満ちている。にもかかわらず両者をはっきりと分かつのは、そういった都市の暗部を呑み込んであまりあるほどの上昇気流のようなエネルギーがあるかないかという一点に尽きる。社交界と娘に捨てられたゴリオ爺さんの悲惨な破滅を目にしてもなお、「さあ今度は、おれとお前の勝負だ!*4」とパリに向かって力強く叫ぶことのできたラスティニャックと違って、ドス・パソスの登場人物は誰も彼も――成功した者でさえも――マンハッタンでの人生にうんざりしている。ある破産した実業家は、前途に苦境が待ち構えているにもかかわらず、マンハッタンから出ていけることに思わず笑みを浮かべ、軽快な声にならざるをえないのだし、職を失い、結婚生活も破綻した主要な登場人物のジミー・ハーフは、小説の最後でトラックに乗ってどこか遠くまで行くしかないのだ。バルザックが都市に対して求心的であるとすれば、ドス・パソスは遠心的であると言えるだろう。
 もっとも、いまだ産業の近代化途上にあり、サン=シモン的な膨張主義と果てのない経済発展に期待を抱ける時代に生きたバルザックと、第一次大戦を経過して「昨日の世界*5」と決別し、世界恐慌前に狂い咲いた狂騒の中で都市文化が爛熟の極みに達していた1920年代半ばにこの作品を書いたドス・パソスとの間で、上記のような違いが現れるのは当然といえる。
 こう考えてきて、私がわからないのは、今日におけるドス・パソスの評価や知名度の低さ*6だ。彼の作品に描かれた都市や、そこに蠢き、地を這いずり回る人々の姿は、バルザックよりもよほど現代の我々に近いと思われるのに。
 ひとつには、彼の作品の地味さというか、徹底した卑近さ、生々しさに原因があるのかもしれない。同時代のアメリカ作家と比べても、彼の作品にはヘミングウェイのようなロマンチシズムもなければ、フィッツジェラルドのような崇高なまでの悲劇性もないし、フォークナーのような神話的宿命もない。そこには、複数の人物の視点を次々に移し換え、それぞれに関連を持ったり持たなかったりする断片を交互に積み重ねていくという、当時としては独特だった手法のせいもあって、都市でばらばらに生きる人々のぱっとしない肖像があるだけだ。ひとは醜くある自らの姿を鏡に映してまで見たがりはしないということか。
 しかしながら、本質的な原因は、都市に対するドス・パソスの遠心的な姿勢に求められなければならない。『マンハッタン乗換駅』は、マンハッタンを後にする登場人物の「さあ……ずっと遠くまで*7」という台詞で幕を閉じる。だが、欲望に満ちた虚飾の都会の彼方に、純朴で美しい自然に囲まれた真実の田園生活を夢想できたロマン主義の時代は、当時にあってもすでに〈ずっと遠く〉に過ぎ去っていた。『マンハッタン乗換駅』から少し発表年は遅れるが、いまや農村にはスタインベックの『怒りの葡萄』が待っている。つまり、もはや彼は「世界の首都」(capital)から離れても、都市的なもの、すなわち資本主義(capitalism)がもたらす影響からは逃れることができないのである。
 そうした状況が現代に至るまで変わっていない、いやむしろ当時にも増して進展しているのだとしたら、否応なく都市的な世界の中で生きなければならないわれわれにとって、ドス・パソスの小説は決して助けにならない。われわれにとって必要なのは、都市の内に安住するのでも、外に出てしまうのでもなく、内側に留まりつつ世界を食い破る力を持った小説なのだ。

*1:ヴァルター・ベンヤミン

*2:911のテロがはしなくもそのことを示している

*3:ただし、前者では主に階級だが、後者はそこに人種や出身が加わる。

*4:バルザックゴリオ爺さん平岡篤頼

*5:シュテファン・ツヴァイク

*6:アメリカではどうだか知らないが、少なくとも日本では

*7:大橋健三郎・西田実訳