マシュー・カソヴィッツvsニコラ・サルコジ

 fenestraeさんのブログ経由で知ったのだが、郊外を舞台にした映画「la Haine 憎しみ」の監督マシュー・カソヴィッツ自身のブログニコラ・サルコジ内務大臣を批判したところ、当のサルコジ氏が自ら反論を書き込んで騒ぎになっているとのことだ。
 さっそく見に行ったものの、あいにくコメント欄が長くなっていてブラウザーで表示できなかったうえに、ウインドウズの動作が異様に重くなって再起動するはめに陥った。古いからなあ、私のパソコン。
 んー情報を知るのが遅かったな残念、と思っていたところ、ヌーヴェル・オプセルヴァトゥールのネット版サルコジ氏のコメントだけ抜き出して掲載されていることを知り、やっと両方とも読むことができた。
 カソヴィッツ監督のサルコジ批判はじつに激烈というか直截というかなんというか。一例を挙げると、「Nicolas SARKOZY a pris à contre-pied tout ce que la République Française défend. La Liberté, L’égalité, et la Fraternité d’un peuple.(ニコラ・サルコジフランス共和国が擁護するすべてのものの正反対を行っている。自由、平等、そして人民の友愛にだ。」といった調子だ。文中でサルコジをブッシュに喩えていることもあり、「Shame on you, Bush!(恥を知れ、ブッシュ)」と叫んだマイケル・ムーア監督とダブって見える。
 また、最後の段落に「Nicolas SARKOZY est certainement un petit Napoléon(ニコラ・サルコジは確かに小さなナポレオンだ)」という文章があるのだが、この〈un petit Napoléon〉という呼び方は、クーデターによって共和制を転覆したナポレオン三世に向かってヴィクトル・ユゴーが侮蔑の意を込めて発したNapoléon le petit(小ナポレオン)を彷彿させる。
 これに対するサルコジの反論から、私がいかにも彼らしいと思った部分を訳出してみよう。

 Vous l'attachez de façon réductrice et manichéenne à ma personne et à quelques mots prononcés par moi-même… Ces mots, j'assume leur tonalité directe et franche car ils sont fondés sur la réalité d'un quotidien vécu par une majorité de nos concitoyens dans les cités. Au surplus, j'estime que le "politiquement correct" et la langue de bois qui prévaut depuis des décennies ne sont pas indifférents à la montée du vote extrémiste dont je combats depuis toujours les idées et les leaders.
 あなたは還元的かつ二元論的なやりかたで、私の人格や私自身が発したいくつかの言葉を現今の危機*1に結びつけておしまいになる……。それらの言葉が持つ率直で露骨な印象を私は認めましょう、というのも、それらは都市*2に住む大多数の人びとに経験された日常の現実に基づいているからです。加えて、私はここ数十年のあいだ支配的な「ポリティカル・コレクト」や木の言葉*3が、ずっと前から私がその思想や指導者たちと闘ってきた過激主義者の票の増加*4と無関係ではないと考えています。

 彼の発した言葉、つまり racaiile(ごろつき)といったたぐいのものは、なにも一人彼だけが感じていることではなく、郊外の都市の majorité 多数派もそう感じているのであり、彼はそれを言葉で表したにすぎないというわけだ。こうした歯に衣着せない言動が、政治的配慮に基づいた綺麗事や、無味乾燥な言葉しか話さない政治家に対して嫌気がさした反動で極右・極左に票を投じるようになった有権者の支持を取り戻すのに有効な戦略だといいたいのだろうし、実際に彼に共感する人も多いようだ。とはいえそのポピュリスト的手法は、移民労働者に職を奪われるかもしれないという人びとの不安や治安の悪化に対する懸念を(あまりに過激な形でとはいえ)先取り的に代弁して人気を集めたルペン氏のそれと同じとはいわないまでも、似たようなものであるような気がする。
 こうした現象は、やたらに政治家が「民意」重視を口にするようになった日本の政治風土ともどこか似通っていると思われてならない。そしてそれは、民主主義から異なる理念や意見のあいだでの議論が減退して、多数派の(ものとされる)声を汲みとる(あるいは、読みとる)だけになってしまうことにもつながりかねないのではないか。
 ただ、そういうこととは別に、今回の論戦(?)はどちらかというとサルコジ氏のほうに分があるかなあ。カソヴィッツ監督のエントリは郊外の暴動に関する話題がほとんどサルコジ氏に対する個人批判に終始していることもあって、雑な印象を受けてしまった。ぜひとももう少し精緻な議論を展開してほしい。

*1:郊外の暴動のこと。この前の段落にある言い回し。

*2:「集合住宅街」と訳したほうがいいかも。

*3:日本語の「木で鼻をくくったような」のようなもの。特に政治家や官僚が発する、事務的で無味乾燥な言葉を指す。

*4:国民戦線 Front National などのことを言っていると思われる。