フィリップ・クローデル『リンさんの小さな子』

リンさんの小さな子

リンさんの小さな子

 同じ作者の『灰色の魂』も色濃く死に彩られた小説だったが、今作もそれは同じ。どうやらフィリップ・クローデルという人は、身近な人間の死というモチーフに強い思い入れがあるようだ。

  • 以下ネタバレあり

 表題にもなっている「リンさん」は東南アジアのどこからしい国*1の老人だ。戦争で息子夫妻を失い、生き残った孫娘「サン・ディウ」をつれてヨーロッパのどこからしい国*2に難民として渡ってきた。
 難民施設で共同生活を送る同郷人ともうち解けないままに孫娘と二人きりで生きるリンさんだが、ある日散歩に出た先で、妻を亡くしたバルクという男性と出会い、会話を交わす。といっても相手の男性が一方的に話しかけてくるだけで、異国に来たばかりのリンさんにはもちろん彼の使う言語は理解できない。それにもかかわらず、二人はなんども同じ場所で落ち合い、共に時を過ごす。
 言葉の通じない二人がお互いの裡に感じとったのは、親しい人間を亡くした悲しみだった。彼らはこの共通の感情を媒介にして、じょじょに友情を深めてゆく。それと、「リンさんの小さな子」であるサン・ディウに対する愛情も共にして。
 『灰色の魂』の語り手が、愛妻の死にひきずられて深く「死」に浸食されていったのとは逆に、リンさんとバルク氏は生の方へと向かう。それはひとえに孫娘サン・ディウの存在がもたらしたものだ。
 ここから先は激しいネタバレになるので書けないが、サン・ディウとリンさんがどのような結末をむかえようとも、サン・ディウはリンさんに生きる力を与えた。それは確かである。いかなる形であれ、サン・ディウとともに生きることは、親しい人びとの大量の死に囲まれたリンさんが生きのびるためにどうしても必要なことだったのだ*3。そして、生きのびたことが、バルク氏という新しい親友を得ることにつながったのである。
 ところで、サン・ディウという名前は、文字なしに音だけだと、バルク氏にはフランス語の sans Dieu (サン・デュー:神なし、神不在)と聞こえてしまう。神がいない、なるほどそうかもしれない。だが、それがどうした? 人がいる。それでじゅうぶんではないか。

*1:おそらくベトナム

*2:おそらくフランス

*3:『灰色の魂』の語り手が死んだ妻に対する接し方と、リンさんのサン・ディウに対する接し方自体は実のところ同型なのだが、当人の意識が対極的なのと、サン・ディウが本来まだ言葉を話せない幼児であるために、正反対の作用をもたらすことになる。ってこれ『灰色の魂』読んでない人にはなんのことかわかりませんね。