古川日出男『LOVE』

LOVE

LOVE

 一読して「こいつは凄い」、と思った。だがその凄さがどういうものなのかは私の貧弱な言葉ではとても言い表せない。そこで厚かましくもベンヤミンの卓抜な思考の断片を拝借することにした。

都市が一様だというのは見かけだけのことにすぎない。それどころか、その名前さえ、都市の地区ごとにその響きを変えてしまう。夢の中を別とすれば、それぞれの都市においてほど境界という現象がそれ本来の姿で経験されうる場所はほかにない。その町を知っているということは、高架沿いや家々の間や公園の中や川岸沿いを走る境目としてのあのいくつもの線を知っているということ、そしてこれらの境界とともに、さまざまな領域の飛び地をも知っているということにほかならない。境界は〔まるで別の世界への〕敷居のように街路の上を走っている。そこからは、虚空へ一歩踏み出してしまったときのように、まるでそれに気づかないままに低い階段に足を踏み出してしまいでもしたかのように、ある新たな区域が始まるのである。 [C3,3
ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論Ⅰ パリの原風景』岩波書店今村仁司・他訳p.173)

 都市が一様ではないように、人の生もまた一様ではない。いずれの多様性(一貫性・統一性の欠如)も絶え間なく「境界」を越えることによって成り立っている。ベンヤミンの言うように、そのことが本来的に経験されうる場所が都市であり夢の中だとするならば、「〈小説という夢〉の中の都市」こそ本来もっとも強度な越境の体験を提供してくれるはずではないか。この小説は、そのことを示す好個にして最良の例のひとつである。