アウシュビッツと嘘

 NHKで五回連続放送された、イギリスBBC制作の「アウシュビッツ」を見ていちばん印象に残ったのは、元SS将校としてアウシュビッツに勤務していたグレーニングという老人である。
 彼は、自分は単なる組織の部品にすぎなかったとしてホロコーストに関する自分の責任を否定し、ユダヤ人が虐殺されたことについて謝罪しようともしない。それどころか、囚人の財産を着服して自由気ままな生活ができた当時のことを懐かしそうに思い出しさえする。その淡々とした語り口は、ハンナ・アーレントが『イェルサレムアイヒマン』で分析し、映画『スペシャリスト』で実際に見ることができる、ユダヤ人移送の責任者アドルフ・アイヒマンのそれとよく似ている。
 しかしその彼が、「絶滅収容所ガス室による虐殺などなかった」と主張するホロコースト否定論者に抗して、自分が目撃し、荷担しさえした事実を後世に伝えるために、あえて証言することを決断したというのである。この決断はそうとうに勇気がいるものだったに違いない。ユダヤ人から憎悪のこもった目で見られるだけでなく、ドイツ国内でも元ナチとして非難される危険もあるからである。
 この行動はいっけん不可解にも映るが、実はそうではなく、おそらくは彼の「嘘をつかない」という信念に従っているものと思われる。
 彼は第二次大戦当時、ヒトラーナチスの教義を信じていた。ユダヤ人殺害を悪いことだとは思っていなかった。アウシュビッツではSSの立場を利用して甘い汁を吸った。絶滅収容所は彼にとって楽園だった。彼はこれらの事実を否定しようとはしない。だから証言はしても謝罪はしない。それは自分にもユダヤ人にも嘘をつくことになるからだろう。
 少なくとも彼には、下の本で検証されているような、「嘘」をついて歴史を偽造することは拒否するだけの矜持があったのである。そしてまた、そのような誠実さを持ち合わせていても、一つの方向に向かって暴走する時代に抗うことはできなかったことも教えてくれる。

アウシュヴィッツと(アウシュヴィッツの嘘) (白水Uブックス)

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