(本は)背中で語れ!


 はてなダイアリーにはキーワードリンクという機能があって、自分の興味ある話題を扱っている日記を探すのに便利なわけだが、これには賛否両論あるようだ。というのも、キーワードを辿って行ったところ、本文の内容とはあまり関係がなかったということが往々にしてあるからであり、それは誤爆などと言われている。
 しかし、考えようによっては誤爆もそう悪いものではないと思うのだ。目的とは違う話題だったとしても、たまたまそこで目にした記事によって、今まで自分と無縁だった物事に関心を持つきっかけになるかもしれない。まあそういうことは滅多にないのだが、それでもこういうことはSNSと違って誰にでも閲覧できるブログの可能性の一つではないだろうか。そういう可能性を持ち得るだけの質の高い記事を書いているのかと問われれば、私としては小さくなるしかないのだけど。また、そのためには特定の話題に興味を共有する人以外にもわかるような、いわば「内輪」的ではない文章を書かなければいけないのだろうが、これが難しい。
 それはともかく、似たようなことは書店や図書館にも言えるのではないかと思う。アマゾンに代表されるネット書店は、ふつう事前に調べて購入を予定していた本しか買わないが、オフラインの書店や図書館の場合、たまたま目についた目的外の本を手に取り、気に入ってしまうということがある。本来ならば全く接点を持たなかったはずの人と本が偶然に出会う場であるわけだ。だからこそ、最近はそういう機会も減ってしまったが、私は書店に足を運べば必要以上にぶらついて時間を費やすのである。
 そしてこのとき出会いの重要なきっかけとなるのは、人の目を惹くような装丁と題名である。人間と同じように、最終的には大事なのは中身だとしても、まず手にとって頁を開いてもらわないことにはその価値を知らしめることはできないのだ。まして人間ならば言葉などを使って能動的に相手に働きかけることもできるが、本はそうはいかないので、見た目で人の注意を引きつけることが肝要である。「大事なのは中身、外見なんかどうでもいい」とは言っていられないのだ。
 稀代の読書家であった植草甚一などは、レコードのジャケットや本の装丁がいいものは内容も素晴らしいという理論を打ち立てた*1。もちろんこれは植草甚一一流の極論であって、実際には見た目だけで中身はダメなものもあるわけだが*2、見た目も中身もダメなものに比べれば、部屋のインテリアぐらいにはなりそうなだけましである。
 概して言えば、近ごろは題名に関しては工夫を凝らしたものも多いようだが、私の見るところ装丁に気を遣っていない本があまりに多い。装丁といってもここで指摘しているのは、特に背表紙に関してである。表裏の表紙よりも背表紙のほうがはるかに重要なのだ。なぜなら、ほとんどの本は平積みにされることはないか、されたとしても短期間で、後は本棚に収納される以上*3、最も客の眼に晒されるのは背表紙だからである。
 というわけで、たいていは統一規格を用いている文庫や新書はともかくとして、単行本に関してはもっと背表紙の装丁に力を入れてほしいものである。あの縦長に細く狭いスペースでいかに本の魅力を表現するか、装丁家の腕の見せ所ではないか。

*1:例えばレッド・ガーランドの『Groovy』

Groovy

Groovy

*2:見た目はダメだが中身はいいというものももちろんある。そういうのを見ると、損してるよなあと思う。

*3:現実には棚に並べられることすらない本の割合が圧倒的に多いのだが。