デジャ・エクテ(既聴感*1)

 あれは2、3年前のことだったでしょうか、来日したジャズ・ピアニスト、レイ・ブライアントのソロ・コンサートを聴きに行きました。私は彼の『Alone at Montreux』を愛聴しているので、期待に胸を弾ませて家を出たことを覚えています。ちなみに、『Alone at Montreux』はレイ・ブライアントが1972年のモントルー・ジャズフェスティバルにオスカー・ピーターソンの代役としてソロで出演し、大成功を収めたときの記録です。
 会場は400人も入れば満員になる小ホールで、狭いだけあって親密な雰囲気に包まれていました。私の席はたしか最前列から三列目で、すぐ目の前にグランドピアノが据えつけられています。開演時間になるとステージの袖から、頭髪や口ひげに白いものが混じるようになったレイ・ブライアントがゆっくりと姿を現し、中央で客席に向かって一礼をしてから、にっこりと笑ってピアノの前に座りました。私の席はほとんど会場の中央に位置しており、彼の両手の指先まではっきりと目にすることができます。いい席に座ったものだと思いました。
 拍手が鳴りやむのを待って、ブライアントは演奏を始めました。曲は「Gotta Travel On」。これは『Alone at Montreux』の冒頭の曲でもあります。なるほど同じソロ・ピアノということであの名盤を彷彿させる演出できたか、ふうん……おや? 曲が中盤にさしかかったころ、私は強烈な違和感を覚えました。しかし違和感といっても、それは「何かが違う」という感覚ではなく、「何かに似ている」という感覚なのです。まるで目を瞑ると正面に自宅のオーディオセットが鎮座しているような……。そう、彼の演奏はアドリブパートまで『Alone at Montreux』の同曲のそれとほとんど同じだったのです。そもそもなぜ「曲が中盤に」と感じたかというと、耳がタコになるほど聴いたアルバムですから、そのパートが何分何秒ぐらいのものであるかはおおよそ当たりがついたのです。
 二曲目は「C Jam Blues」。まさかとは思いましたが、これもまたブライアントがかつて『コン・アルマ』というアルバムで演奏したものとほとんど同じアドリブ・パートでした。
 その後なにが演奏されたのかは、締めの定番曲「A列車で行こう」以外覚えていません。確かスタンダードとオリジナルをあわせていくつか聴いたことのない「演奏」があったと思いますが、私とて彼のアルバムをさほど熱心に収集しているわけではありませんから、おそらくはそれらも過去に録音されたことがあるものだったのでしょう。
 ジャズはアドリブが命といわれますが、必ずしも一から十まで即興で演奏しているわけではなく、ストック・フレーズとよばれる、ミュージシャンごとにパターン化されたフレーズをいくつか組み合わせてアドリブに組みこむことも時にはあります。しかしそれとて程度の問題であって、あの日のレイ・ブライアントの演奏はまったく過去の自分自身の演奏のコピーといっていいものでした。
 「あなたが音楽を聴くとき、それは終われば空気の中に消えてしまい、二度と取り戻すことはできない」とエリック・ドルフィーは言いました*1。しかし音声が文字によって保存されるように、レコードは音楽を記録し、いつでも聴くことができます。そして何度同じ演奏、同じアドリブを聴いても飽きることがありません*2。そのわけは、たとえレコードの内容が全く変わらないとしても、そこに収められた演奏はその場限りの繰り返し不可能なものだからです。それゆえに同じアドリブが何度聴いてもそのつど新鮮に感じられるのです。
 とはいえ音声を文字にすると致命的に失われてしまうなにかがあるように*3、音楽も生の演奏とレコードでは全く違います。たとえライブ音源でも、レコードではその場にいた人と同じ「音」を享受することはできません。だからこそ、そこでしか味わえない体験を求めてライブハウスやコンサートホールに足を運ぶわけです。それなのに過去の演奏の再現を聴かされるとは思ってもいませんでした。もちろん厳密にいえばそれはどこまでいっても過去の演奏と近似的であるということにすぎず、同じ演奏を再現することはドルフィーが言うまでもなく不可能なのですが、それはあくまで理屈であり、アドリブこそが演奏の核心をなすジャズにおいて、過去のそれをコピーするのは、聴衆に対して云々という以前に自分の手で自らの音楽を殺すようなものでしょう。
 そういうわけであのときのレイ・ブライアントにはがっかりさせられたのですが、それでも私はまた『Alone at Montreux』をターンテーブルに載せるのです*4。なぜならこのアルバムは確かに一回限りの性質を有する名演の記録だから。


アローン・アット・モントルー

アローン・アット・モントルー

*1:Last Date

*2:とはいっても、なかには飽きがくるものもありますけど。

*3:たとえば言葉を発したときの声の大きさ、抑揚、顔の表情、身体のしぐさ、場の雰囲気。

*4:というのは嘘で、「CDプレーヤーに入れる」のが事実です。いや、ワープロで執筆してる作家が「筆一本で」とか言うのと同じで、デジタルよりアナログの方が風情がありますよね、なんとなく。