パリ郊外というトポス
フランスにおける反ユダヤ主義の歴史は決して浅いものではない。十四世紀のフィリップ四世以降、幾度かユダヤ人の財産を没収して追放するという王令が出されているし、ペストが蔓延したときに、ユダヤ人が井戸や河川に病原菌(というか毒)を撒いたとして虐殺を受けたこともあった*1。
フランス革命によってユダヤ人の居住・職業制限や衣服が撤廃され、公式には差別が否定されてからも、人々の意識からユダヤ人差別がすっかり消え去ったわけではなく*2、公の場でもエドゥアール・ドリュモンのような反ユダヤ主義イデオローグが論壇で活躍したり、かの有名なドレフュス事件が起きたりした。それでもナチ統治下でユダヤ人狩りに協力したことは、フランス史上最大の汚点として記憶されるだろう。なかには「あれはヴィシーフランスのやったことだから共和制との連続性はない」と言う人もいるが、だからといってフランスが免責されるわけではない。
逮捕されたユダヤ人が東方に移送される前に収容されたのが、パリ郊外セーヌ・サン・ドニ県にあるドランシー収容所である。ここは収容所といっても、最初からそのような目的で建てられたわけではなく、兵営として予定されていたものを流用したもので、ユダヤ人だけでなく共産主義者の政治犯なども収容されていた。
そして、パリ郊外には今でも現役の収容所が稼働している。それはHLMと呼ばれる集合住宅(郊外団地)である。これは主にマグレブ諸国など第三世界からの移民が住む住宅街であり、住民のほとんどは低所得者層に該当する。彼らは主に低賃金の単純労働に従事し、その子弟たちもほとんどは高等教育課程やまともな職業教育を受けることなく、親たちと同じかそれ以下の境遇に埋もれてゆく。郊外は事実上の移民ゲットーと化しているのである。
一般的に、先進国のスラムは大都市の内部に形成されるが、パリは慢性的な住宅難に悩まされているので、カネとコネのどちらも持たない移民はそもそもパリ市内に住むことができず、郊外に落ち着かざるを得ないのである。もっとも、今では移民の流入自体が規制される傾向にあるのだが。
むろん、これを第二次大戦期のユダヤ人迫害と同一視するわけにはいかない。しかし、日本人観光客にも人気の高いパリという街の美的イマージュが、結果的に異質な存在を郊外に排除して成り立っていることは銘記されるべきであろう。
- 参考
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