福音主義的ジャズ入門


 ジャズって聴いてみたいけど、周りに詳しい人もいないし、CDショップに行ってもあまりに量がありすぎてどれを聴けばいいかよくわからない。そんな迷える仔羊を優しくあるいは厳しく導いてくださる奇特な牧者がジャズ界にはたくさん存在するのですが、中でも八面六臂の活躍をしておられるのがジャズ喫茶のマスターの皆さんです。
 そしてその中でもモダン・ジャズの開祖チャーリー・パーカー直伝の使徒と呼ぶべき人こそ、四谷「いーぐる」の店主、後藤雅洋氏なのです。
 ためしに講談社現代新書『ジャズの名演名盤』を繙いてみましょう。

 はっきり言ってしまえば、聴き手が音楽を選ぶとばかり思っているのは、思い上がりというもので、音楽の方もまた聴く人間を選んでいるんだってことだ。もし仮りに、ジャズを一つの山にたとえたとして、その山頂への登山口が、チャーリー・パーカーしかなかったとする。そうすれば恐らく自称ジャズ・ファンの数は激減するだろう。そのかわり、チャーリー・パーカーからジャズという山脈にとりついたファンはその全員が山頂にたどりつくであろうことを、僕は自分のジャズ人生を賭けて保証する。
(p.13)

 なんと厳しくもありがたいお言葉でしょう。これはまさにマタイ福音書の「狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」*1という一節と同じではありませんか。
 ここで「広い道」にあたるのは、たとえば昨今流行りの(といっても流行ってるのかどうかイマイチよくわからないのですが)癒し系ピアノトリオであるとか*2、甘いメロディーのスタンダードソングばかりを選曲した売れ線狙いの保守的なアルバム*3であり、「狭き門」とは、チャーリー・パーカーのように一瞬のアドリブに命を賭けた、聴き手に媚びを売らない真剣勝負のジャズのことです。
 そういえば後藤氏には『ジャズ・オブ・パラダイス』という著書もあり、そこにはよりいっそう厳格なお言葉も記されています。

 これからジャズを聴こうというファンに、のっけからキツイことを言うようだが、これはジャズを愛するがゆえの苦言だと思って聞いてほしい。それは、ジャズを単なる趣味の問題として、好き嫌いの視点だけから捉えるのはまちがいであるということだ。人間である以上、なんに対しても好悪の感情があるのは当然だし、それを否定しようというのではない。そうではなくて、その当たり前のことだけを声高に叫んで、ジャズに対する評価軸に据えようとするのは、子供のわがままと一緒だ、ということに早く気がついてほしいのだ。
(p.16)

 失楽園(パラダイス・ロスト)に生きる堕落した人間の一人である私にとっては、後藤師のお言葉はときとして過剰なものだと感じられることもあります。「ジャズの山頂」などというものは本当にあるのだろうか、そういうものを想定することで、ジャズの入口どころか可能性をも狭めてしまいはしないかとも危惧してしまいます。
 とはいえ中には山頂どころか麓にすら価しないのではないかというろくでもない演奏があるのもまた事実で、それを判別するにはジャズの本質論や文化論にこだわるのもいいですが、とくに理論的なことを見聞きせずとも玉石相交えた実際の演奏を数多く聴けば、自ずとジャズの良し悪しもわかるようになり、個人的な「好き嫌い」もジャズ的にそれなりの根拠のあるものになるのではないかと思うのです。そういう点で、後藤師がその著書で紹介しているアルバムは、かなりの程度でまんべんなくジャズの名演奏や名ミュージシャンを網羅していますし*4、収録されているジャズ論には傾聴すべき意見も多く鏤められています。ジャズ入門者が後藤師の御託宣に全面的に従う必要はないと思いますが、その教えに学ぶことは有益でしょう。


新 ジャズの名演・名盤 (講談社現代新書)

新 ジャズの名演・名盤 (講談社現代新書)

*1:マタイによる福音書7章13〜14節

*2:具体的な名前はあえて挙げませんが、ヨーロピアン・ジャズ・トリオとか。

*3:具体的なレーベルはあえて挙げませんが、かつてのAlfa Jazzとか、日本制作盤に多い。

*4:ただし、モダンジャズ以降に限る。