久住四季『トリックスターズ』

トリックスターズ (電撃文庫)

トリックスターズ (電撃文庫)


 なんか月姫FATE以降増えたよねーこういうの、という感じの、「魔学」についての設定に凝った小説。
 『魔術師が多すぎる』との関連で色々議論されていたが*1、ここではあんまり内容とは関係ないことを書きます。

  • 以下もろにネタバレなので未読の人は注意


 私が本作を読んで思い浮かべたのは、夏目漱石の「吾人は作家の表出法に眩惑せられて善悪の標準を顛倒し、同情すべからざる人物に同情し、或は此同情を一方にのみ寄せて全然他の一方を閑却し去る事あり」(『文学論』)という一節だ。ここでは「或は」以下が該当する。
 「魔術師」を名乗る謎の人物によって語り手の友人三嘉村凛々子が殺されるわけだが、実はその死体は別人――語り手の通う学校の理事長であり、凛々子は生きていた。読者は、女の子五人組の深い友情や語り手との交友に感情移入しているので、ここで「ああよかった」と思う。そして犯人も判明し、事件は無事解決して凛々子も生きている、めでたしめでたしのハッピーエンドということになる。だがその裏ではなんの罪もない一人の女性が魔術師によって身柄を十数年に渡って拘束され、ついには遺体が原形をとどめないような方法によって殺害されているのだ。この世界には二度と埋めることのできない欠落が穿たれてしまったのである。それなのに読者は「此同情を一方にのみ寄せて全然他の一方を閑却し去」ってしまっているから、語り手たちと感情的紐帯を持たない*2薬歌玲の死に胸を痛めることはない、どころかむしろ犠牲者が彼女であったことを*3喜びさえしてしまう。それは例えば、海外で悲惨な事故や事件があったときに、「なお、日本人の犠牲者はありません」と言ってニュースキャスターたちが安堵の表情を見せるのと大差ないのだ。あらゆる生命は等しく尊いと理性では思っても、時として私たちは感情の上でどこかに線を引いたりどこかで秤を傾ける。
 たとえライトノベルであっても、不道徳を読者に惹起させてくれる。そしてそれは文学作品の効用の一つなのだ。

*1:ていうか私もエントリー書いたんですけどいつの間にか消えちゃいました。まだブログに慣れていなかったので変な操作しちゃったのでしょうか。

*2:というか実は本物には会ったことさえない

*3:というか凛々子ではなかったことを、なのだがこの場合どちらにせよ同じこと