dedicated to JACKIE McLEAN

(04/04加筆修正)
 ジャッキー・マクリーン*1が死んだ。享年73。
 ここ数年、ミルト・ジャクソンジョン・ルイストミー・フラナガンといったジャズ界の大御所が立て続けに亡くなったが、これでまた一人、ジャズが最も熱気を持っていた時代を体現するミュージシャンが鬼籍に入ることになった。1932年生まれということは、つい先頃来日して健在っぷりを示したオーネット・コールマンより若いわけで、その早すぎるというほどではないにせよまだ逝かなくてもと思わせるにはじゅうぶんな歳での死を悼む。
 さてそこでジャッキー・マクリーンの音楽を愛好するジャズファンの一人として、この訃報に触れて久しぶりに彼のアルバムを聴いてみようと思ったのだが、それにもかかわらず迷った末に選び出したのはマル・ウォルドロンの『LEFT ALONE』であった。ちなみに、マル・ウォルドロンもすでに死去している。

Left Alone: Dedicated to Billie Holiday

Left Alone: Dedicated to Billie Holiday

 このアルバムのタイトルにもなっている「LEFT ALONE」という曲は、マル・ウォルドロンが伴奏を務めていたヴォーカリストビリー・ホリデイに捧げた曲*2なのだが、そこにマクリーンがゲストという形で参加しているのである。なぜわざわざアルバムのジャケットにゲストと銘打ってあるかというと、マクリーンは生きていればホリデイが歌うはずだった歌詞のパートをもっぱら演奏しているから。彼はあくまでホリデイの代役という位置づけなのだ。そのためか、ここでのマクリーンは歌のメロディーラインを心持ち崩し気味とはいえほぼ忠実になぞっていて、アドリブといえる部分はほとんどない。
 もともと曲調が哀切きわまりない短調である上に、ウォルドロンとマクリーンの演奏も情緒纏綿たるもの*3なので、ジャズ史を眺め渡してもこれ以上感傷的なものは見あたらないというできになっている。アルバムのジャケットには「at the piano plays moods of BILLY HOLIDAY」と記してあるのだが、マクリーンが参加していない他の四曲まで重く悲しげであることを考えると、能書きに反して、マイナーの曲を得意とするウォルドロン的雰囲気が全体に満ちているという気がしないでもない。ビリー・ホリデイというと、歌手になる前の悲惨な少女時代や人種差別、それに麻薬中毒、そしてなによりもリンチを受けて木に吊された黒人の死体の様を歌い上げた「奇妙な果実」があまりにも有名であるために、なんとなく暗いイメージがつきまといがちだが、実際に聴いてみるとそのキャリアを通して明るく闊達な歌唱が意外と多いことに気づく。もちろん同時に哀しげなブルースや重厚深遠な唱も数多くあるが、恋人でもあるレスター・ヤングと競演した「When You're Smiling」で、「Keep on smiling, Cause when You're smilng, the whole world smiles with you」と朗らかに歌うのを聴けば、暗く悲しいムードだけで彼女を塗り込めてしまうのはあまりに一面的であることは明らかだ。仮に過酷な人生経験から彼女の存在の基底が哀調で形作られていて、その笑いを支えているものが悲しみや苦しみであったのだとしても、それを単純に表出するほど野暮な歌手では彼女はなかった。彼女は歌に自分の経験や感情を生のまま託してしまうことはしない人であったからこそ、どんな歌を唄っても歌詞の内容を余すことなく表現することに卓越した歌い手たり得たのではないかという印象を持つ。彼女は悲しいことがあったときに悲しい歌を唄う、ということはしないのではないかと勝手に思う。
 だからここでの演奏はむしろ、たとえビリー・ホリデイの「器楽演奏であっても歌詞に注意しなさい」という助言に従って、彼女が作詞した「LEFT ALONE」を演奏してはいても、ホリデイの音楽とは関係なく、音楽的にも人間的にもビリー・ホリデイという人を深く敬愛した二人のミュージシャンの、彼女を喪った深い悲しみが素直に露出しているのだと思いたい。そもそも、ビリー・ホリデイの代わりにマクリーンのアルトで歌わせようとしたウォルドロンの試みは面白いものではあるが、あるミュージシャンの代わりとしてその空關を埋めるなどということは誰にもできまい。マクリーンはマクリーンでしかないのであり、ここでの演奏はどこまで行ってもマクリーンのものなのだ。これはマル・ウォルドロンジャッキー・マクリーンという二人のミュージシャンによる、不器用で率直な弔歌なのである。彼らは、ホリデイの数多い愛唱曲の一つである「Please Don't Talk About Me When I'm Gone(私がいなくなってもなにも言わないで)」の歌詞にある、「And listen if yu can't say anything real nice, it's better not to talk at all, that's my advice(お聞きなさい、もしあんたがほんとうに素敵なことを言えないのなら、なにも言わずにいるほうがいいわ、それがあたしのアドバイスよ)」という言葉に従わなかったのだ。
 これは私一人の印象として言うしかないのだが、それでも彼らの演奏が甘ったるく嫌みに聞こえないのは、聴く者を感動させてやろう、泣かせてやろうなどというあざとい計算や媚びが微塵もないからだ。それでいて音楽としての構成が疎かにされているわけでは決してない。名演と呼んで差し支えないと思う。とはいえ実際問題としてこのアルバムはアメリカではまったくといっていいほど売れず、日本でも最初は不人気で即廃盤になってしまったそうだが、商業的な配慮など念頭になく、どこまでもビリー・ホリデイを哀悼する自分の感情に忠実であることを貫いたからこそ、かえって希有な名演を生むという滅多にない僥倖たり得たのだ。『レフト・アローン'86』という日本制作の再演盤が根本的にダメなのはその点にある。ビリー・ホリデイの死から約三十年経ち、たとえ二人のホリデイに対する感情がいささかも変わっておらず、演奏の質も高いとしても、作品としてできあがったアルバムには、この曲を偏愛する日本人ジャズファン向けのサービスという意味あいが否応なく附与されてしまうからだ。それは演奏する当人の意気込みとは関係なく、不可避的にいま-ここの直截さを失った外面的な反復にならざるをえない。どうしてわざわざ屋上屋を架す必要があるのだ? 一枚あればじゅうぶんではないか、『LEFT ALONE』は。奇跡はそう何度も起こるものではない。聴きもしないでこういうことを言うのはそれこそよくないとわかってはいるけれども。
 ……なんだかマクリーンに捧げるという表題の趣旨とはまるで関係ない内容になってしまったようで、こんなことならなにも言わないほうがよかったという気もするが、それもひとえに「LEFT ALONE」の重力に引き寄せられてしまったためであると言い訳しておこう。

*1:アルト・サックス奏者

*2:といっても、曲自体はホリデイの生前に作られたもので、彼女が作詞しているが、ホリデイ自身の録音はない。

*3:具体的に言うと、リズムが拍の前で絶妙な間を持たせているということ。