『ふたつのスピカ』はどうしてノスタルジックなのか

ふたつのスピカ 8 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

ふたつのスピカ 8 (MFコミックス フラッパーシリーズ)


 『ふたつのスピカ』は先頃までNHK教育テレビで放映されていましたが、アニメ終了後も漫画は続いています。この漫画は、2020年代後半の日本という近未来を舞台にした、宇宙飛行士を目指す少年少女の物語――なのですが、なぜか私にはむしろ1960年代や70年代のように感じられるのです。まったく内容は関係ないのに、その「温かい絵柄」*1のせいもあってか、『三丁目の夕日』を思い浮かべてしまったくらいです。木造の学生寮や、長い制服のスカート丈や、チェーン店らしいのに手書きの伝票でオーダーをとるアスミのアルバイト先のレストランといった、未来なのに古めかしい細部のためでもあるでしょうが、それらのものはことの本質ではありません。
 主人公の鴨川アスミは獅子号という初の国産ロケットの墜落事故によって母を亡くし、父一人娘一人で育ちました。そして彼女の父は獅子号の開発関係者でもあります。彼女の他には、幼なじみで彼女を想う府中谷、政治家の父親から勘当されてでも宇宙飛行士を目指す鈴木シュウ、他人と馴れ合わない宇喜多万里香、ごく平凡だが友情に厚い近江圭、そして獅子号の乗組員であり、死んで幽霊となった「ライオンさん」が主な登場人物です。
 そこには親子愛があり、逆に父と子の相克があり、出生の秘密があり、苦学があり、挫折があり、恋があり、夢があり、友情があり、努力があり……要するに、「ライオンさん」の存在によってファンタジー色が加味されてはいますが、基本的に、私たちがうんざりするほど見聞きしてきた成長物語のパターンを巧みに組み合わせて作られています。
 この漫画の登場人物たちは皆ひたむきで、まっすぐです。それは彼ら彼女たちが壁に突き当たったり悩み迷って苦しんでいるときでさえそうなのです。なぜなら彼らには最初から揺るぎない目標(夢)があり、どれだけ曲がりくねった道を辿ってもけっきょく行き着くべき場所は一つだから――辿り着けるかどうかは別にして。そしてそれは、現代にあっては――現実だけでなく虚構の中でさえも――ひどく困難になってしまった生のありようなのです。
 この漫画は、砂漠の中で方角もわからずに彷徨い、底なしの蟻地獄に捕らわれている私たちの目の前にあるオアシスのようなものです。それはとてもきれいに澄んだ水をたたえ、肌を焼き焦がす酷暑の陽光をも煌めくように反射させ、周囲には緑の草木が生えています。しかしそれは私たちには手の届かない蜃気楼なのです……。
 この漫画のアニメがNHK教育テレビで深夜に放映されていたときには、どうしてもっと早い時間ではないのだろうか、これはアニメおたくの大人ではなく、むしろこれから成長する少年少女が見るべきものではないだろうかと思いました。しかしそれは間違いで、NHKが正しかったのです。なぜならこれは、たぶん夢からの「健全なあきらめ(by『希望格差社会』@山田昌弘)」を推奨される今の子供たちが同時代的なリアリティーを感じられる作品ではないのでしょうから。

*1:単行本のカバー折り返し部分に書いてある紹介文より。