真夏の昼の夢あるいは夢の変質

 スカパーで放映していたので、映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を再見した。しかしずいぶん久しぶりなのでキャラの名前すら忘れてしまっていた。この機に漫画も読み返してみようかしら、といってもずっと前に古本屋に売ってしまった気がするが。それにしても、『パトレイバー』と声優がかぶりまくっているのが今見ると気になってしかたない。

  • 以下ネタバレ

終わらない夢、もう一つの現実


 この映画は、タイトルの通り美しい夢の話だ。季節は夏、諸星あたるやラムたちは学園祭の前日になっても終わらない喫茶店の設営準備をいつまでも続けている。いつまでもいつまでも。それもそのはず、実は彼らは同じ一日を何度も繰り返していたのである。しかも誰一人として学校のある友引町から外に出ることができないのだ。
 ようやくそのことに気づいたあたる達は、陸路がだめなら空からと、飛行機にのって町を脱出しようと試みる。すると、友引町の外側はすっかり消え失せており、円形に切り取られた大地が巨大な亀に支えられて宙に浮いているのだった。どこに行くこともできず、あたる達は友引町に引き返す。
 そして翌日からあたるの家族と友人達以外の人間は姿を消し、廃墟と化した町であたるやラムは終わらない夏の日々をいつまでも遊び惚けて過ごすのである。その中で面堂は一人でこの奇妙な世界の調査を続けていたのだが、あるとき自分が捻っても反応しなかった水道から、ラムが手をかけるとあっさり水が流れてきたことに気づき、ラムに訊ねる。

「ラムさん、この世界、どう思います?」
「とっても楽しいっちゃ!」

 それだけでなく、あたるの家は円形にくり抜かれた友引町の中心に位置し、そこだけ電気も水道もガスも通っており、それどころか発行者もいないはずの新聞が届く。そして近所のコンビニは食料品をいくら持っていっても在庫が尽きることはない。しかもラムのダーリン・あたるがちょっかいを出していた女性たちがたて続けに姿を消す……。そう、この世界はラムにとって都合のよい要素ばかりで成り立っているのである。
 実はこの世界は、いつまでもあたるや友人たちに囲まれて楽しく過ごしたいというラムの願望が、夢邪鬼(むじゃき)という人の望む夢を見させる妖怪(?)の力を借りて創り出したものだった。
 その後、事態の真相を見抜いたあたるが夢邪鬼の術を打ち破って現実に帰るのだが、それでもこの映画における問題は何一つ解決していない。そもそもラムが夢邪鬼につけ込まれた原因は二つある。一つは、現実ではなく自分にとって都合のよい世界を夢想したこと。もうひとつは、いつまでも変わることなく、永遠に現在のまま遊び暮らしたいと願ったことである。あたるの力によってラムの夢世界は崩壊したとはいえ、ラムのこうした現実逃避的夢想が彼女自身の意志で乗り越えられた訳ではないのだ。その証拠に、ラストのシーンでラムとあたるがいつものように追いかけっこをしている様子を見て、外で作業している生徒はこう言うのである。「あいつらには進歩とか成長とかいうもんがからっきしないからな」、と。そしてその横には夢邪鬼がいるのだ。
 もう言うまでもないだろうが、この映画は、見る者*1に対して「現実から遊離した都合のよい妄想を弄んで自分の世界に閉じこもるな、いつまでもガキのままでいるな」という辛辣なメッセージを突きつけているのである*2。これは押井守によって監督・脚本がなされており、いつもとは一味違った内容になっているのだが、そのため『うる星やつら』という作品にしては不似合いなほど後味の悪い映画なのだ。むろんこれはおたく的世界で甘くまどろんでいる私のような人間の喉元に突きつけられた匕首なのだから、苦い味がするのはあたり前である。

終わらない夏、新しい現実


 さて、時間は2003年に移り、作品は『涼宮ハルヒの暴走』に変わる。
 ここに収められた中編「エンドレスエイト」は、いつまでも終わることなく繰り返される夏休み最後の2週間を舞台にしている。これが上述の『ビューティフル・ドリーマー』の影響を受けて書かれたのかどうかはわからない。
 涼宮ハルヒは、高校入学直後の自己紹介で、「ただの人間には興味ありません。宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」(『涼宮ハルヒの憂鬱*3と言ってのける*4、平凡で退屈な日常に耐えられない少女であり、しかも厄介なことに自分でも自覚しないうちに、自分の望むように世界を作り変えることができるという超越的能力を持っているのである。しかもその能力は周囲の人間や異星人や未来人や超能力者によって彼女には気付かないように取りはからわれている。とにかくこの能力のせいでハルヒの周りにはいつも異常な騒動が巻きおこるのだが、この中編では彼女の「夏休みを終わらせたくない」という無意識の願望が、同じ2週間を繰り返すという形で現れるのである。
 けっきょく一万回以上もの繰り返しの末に、夏休みが終わることを妨げていた「友達みんなで宿題を一緒にやる」という無意識の夢をようやく叶えたハルヒが満足して事態は終息し、時間の流れは常態に復することになる。
 だがここでも『ビューティフル・ドリーマー』と似たような問題が残る。我々はふつう、やり残したことや満たされない想いがあっても過ぎ去った時間を再びやり直すことなどできず、時は無慈悲に流れてゆく。しかしハルヒはそういった現実に逆らい、時間の流れをねじ曲げてまで自分のワガママを貫き通したのである。というよりも、あの能力を持つハルヒにとって「現実」とは実のところ自分の願望とイコールなのだ。そう考えると、『ビューティフル・ドリーマー』の世界よりも、その現実遊離ぶりはいっそう甚だしくなっているといえるだろう。いや、正確には遊離ではなく、そこでは今までの現実に成り代わって別の現実が上書きされるまでに至っているのである。人はいまや夢や願望で別次元の現実を構成するのではない、それらは既にそのままで現実であるのだ。
 『ビューティフル・ドリーマー』からほぼ20年の時を経てこのような作品が書かれたことに、私はこれまでおたく的な感性が辿ってきた、そしてこれから先にまで伸びているだろう、どこへ行き着くのかわからない隘路へと思いを馳せざるをえないのである。他人事ではなく、ここで述べた二つの作品を両方とも享受している身として自省しながら。
 しかし、それでも私は『涼宮ハルヒ』シリーズを最後まで読み続けるだろう。いつかハルヒが自らの能力に自分自身で正面から向きあい、どのような形で折り合いをつけるのか見届けるために。
 

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]

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涼宮ハルヒの暴走 (角川スニーカー文庫)

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*1:ていうか私のようなアニメオタク。

*2:それだけの映画ではないのだけど、ここでは他の要素にはふれない。

*3:ISBN:4044292019

*4:そういえば、大学の自己紹介で「趣味は性交です」と言って初手から教授やゼミ生の度肝を抜いた男がいたが、彼は今どこでどうしているだろうか。