錬金術とはなにか―マルグリット・ユルスナール『黒の過程』
- 作者: ユルスナール,Marguerite Yourcenar,岩崎力
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2001/06
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
これは、一六世紀後半のフランドルを舞台にした、ゼノンという錬金術師の放浪と求道の軌跡を描いた歴史小説である。『鋼の錬金術師』のヒットに続こうとしたのかどうかはともかく、ちかごろ錬金術を扱った漫画や小説が増えているような気がするが、それらによって錬金術に多少なりとも興味を持った人にはお薦めの一冊だ。読みやすいとは決して言えないが。
近世ヨーロッパのことであるから、むろん錬金術は建前上御法度である。したがってゼノンも名前を変え、医師に身をやつして各地を放浪する。錬金術師が主人公とはいっても、実験室でフラスコや炉を前にしている場面など出てこず、ほとんどは他の登場人物―彼を援助したり、その反対に迫害したり、利用したりする―との対話と旅、そして当時の宗教紛争の描写で占められているのである。オカルティックな興味でこの本を繙いた人はいささか肩すかしをくらうかもしれない。
内容については以上のようなものなのだが、ではいったいタイトルの「黒の過程」とはなにを意味しているのか。それは著者自らによって次のように説明されている。
この本の表題として用いられた《黒の過程》という表現は、錬金術に関する論考のなかで物質が分離し溶解する段階、化金石を実現するのにもっとも困難とされる段階を意味する言葉である。この表現が、物質それ自体にたいする大胆な実験をさしていたのか、それともより広く象徴的な意味を込めて、しきたりと偏見から脱け出るさいの精神の試練を指していたのかは、いまなお論議の的となっている。おそらくは次々に、あるいは同時にその両者を意味したものであろう。(p.399「作者の覚え書き」)
そして主人公ゼノンの人となりは、これもまた著者によって「社会を転覆しかねない錬金術師のダイナミズムと次の世代には盛んにもてはやされることになる機械論のあいだ、事物のなかに神が潜在するとする神秘主義といまだにあえて名乗ろうとしない無神論のあいだ、臨床医としての唯物主義的経験論と錬金術師の弟子としてのほとんど幻視者的ともいうべき想像力のあいだでためらっている」(p.397)と説明されている。
さて、唐突だが、カール・マルクスは『ドイツ・イデオロギー』の中で、「共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれに向けて形成されるべき何らかの理想ではない。われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名付けている」という、かっこいいことを言っている。
上に引用した著者の覚え書きをもとに、マルクスをもじって言えば、「錬金術とは、創り出されるべき黄金や賢者の石、あるいはそれに向けて到達されるべき何らかの真理ではない。われわれは、動と静、解体と構築、想像と経験、理想と現実、真理と誤謬の間にあって、それらを止揚せんとする精神と物質の運動の過程を、錬金術と名付けている」とでもいえるだろうか。
そして、われわれは、それを別の名で「生きること」と呼ぶのである。その意味で、ゼノンの放浪の人生はまさしく錬金術を体現したものなのだ。